●初代佛日寺住職 慧林禅師の教え


【 目 次 】

□ 慧林禅師の参禅の偈十首

□ 慧林禅師の参禅の偈十六首

□ 慧林禅師の日常を生きる禅

□ 慧林禅師の修行僧へ送る言葉


 

■慧林禅師の教えについて

 江戸時代、妙心寺に無著道忠禅師(1653〜1745)という大学僧が居られました。その著作『剥耄録』に、慧林禅師のことが書かれています。

  忠云 恵林不知文字也 明僧中亦最甚

 無著禅師は、慧林禅師が記した『麻耶山寺志』の序文を評して、「恵林(慧林)は文字というものを解していない。明僧の中でも最も甚だしい」と、極めて厳しい批評をしています。
 しかし、慧林禅師はもともと名門学者の家に生まれ、文章にも優れた人物でした。隠元禅師のもとで「記室」「書記」を務め、渡来後には隠元禅師の名代として江戸城へ赴くなど、厚い信頼を受けていたことがうかがえます。また、『佛日慧林禅師語録』をはじめ、多くの著作を残されています。
 では、なぜ無著禅師は、慧林禅師をこのように厳しく評したのでしょうか。無著禅師は、他山に対して批判的な態度を取る方でもありました。黄檗禅に対しては享保5年(1720)に『黄檗外記』を著し、曹洞宗の道元禅師の『正法眼蔵』に対しても正徳3年(1713)に『正法眼蔵僭評』を著しています。
 そう考えるならば、『剥耄録』における慧林禅師への厳しい言葉も、単純に一人の禅僧を低く評価した言葉として受け取るだけではなく、当時の禅林における宗派間の緊張や、無著禅師自身の立場を踏まえて考える必要があるでしょう。
 だからこそ、ここでは無著禅師の評価だけにとらわれず、慧林禅師自身が何を語られたのかを、その言葉から尋ねてみたいと思います。
 慧林禅師は、隠元禅師のすぐそばでその教えを聞き、それを弟子たちへ伝えた方です。その言葉には、隠元禅師から伝えられた黄檗禅の息遣いが残されています。
 現代の私たちにとって、これらの漢文による禅の言葉を読み解くことは容易ではありませんが、そこには今を生きる私たちにも通じる、深い教えが見えてきます。
 このページでは、慧林禅師の語録の中から、現代を生きる私たちにも通じる言葉を選び、ご紹介します。古人の言葉を通して、慧林禅師から伝えられた黄檗禅の教えを、今を生きる私たちとともに味わっていただければ幸いです。