●慧林禅師の修行僧へ送る言葉



■はじめに

 居士へ対して仕事や家庭など世俗の現場をそのまま修行の場とする「日常の禅」を説いた慧林禅師は(→慧林禅師の日常を生きる禅)、上座や禅人といった修行僧たちに対しても、その根本において同じ教えを説きました。
 ただし、修行僧への言葉は、より直接的でより厳しいものとなっています。公案の知識や祖師の言葉に逃げることを許さず、自分自身の根本の大事から目をそらさず、いまこの瞬間に徹底して参究することを求めました。
 「自分には無理だ」と自らを軽んじることも許しません。少しばかり悟ったと思って安住することも許しません。師の言葉を覚え、知識を増やして満足することも許しません。
 しかし、厳しさの奥には、修行者に対する深い信頼と慈悲があります。慧林禅師は、弟子に答えを与えて依存させようとしたのではありません。自ら考え、自ら参究し、自ら悟り、自らの足で立つ人物になれと願ったのです。
 『慧林禅師語録』には、長年の修行を経て一言の下に開眼した者、言葉や理屈にとらわれている者、自分を軽んじている者、少しの理解に安住している者、師のもとを旅立つ者、そして法衣を授けられ、さらに正法を背負うことを託された者など、さまざまな修行者への法語が残されています。 本
 ページでは、それらの言葉を通して、慧林禅師が修行僧に何を求め、どのように弟子を導こうとしたのかを見ていきます。そこに見えてくるのは、単に「厳しく修行せよ」という教えではありません。「自分自身から逃げるな。人の言葉に頼るな。自分を軽んじるな。そして、さらに一歩を踏み出せ。」 そのような、修行者を最後まで信じ抜く師の慈悲です。



@修行を先送りせず、一言の下に覚悟を決めよ(示鶴翁道人)

【大意】
 長年にわたって根本の大事を胸に抱き、誠実に修行を続けてきた鶴翁道人。その修行は、最後には慧林禅師の一言を機縁として一気に実を結びます。ここで称えられているのは、特別な才能ではありません。何年経っても「この大事を究めたい」という心を失わず、ひたすらに参究し続けた、その不退転の姿勢です。

【現代語訳・意訳】
 鶴翁よ、あなたと私が初めて出会ったのは、癸卯の夏、有馬温泉でのことでした。その時、あなたはすでに、自分の中にどうしても究めなければならない根本の大事があることに気づいていました。
 それから数年が過ぎました。しかしあなたは、その大事を胸から一度も離さなかった。仏法には、多い少ない、深い浅いというような量の問題があるのではありません。むしろ難しいのは、長い年月にわたって、その求道心を失わずに持ち続けることです。
 あなたは品格が誠実で、行いにも乱れがなく、戒律という宝にも傷がない。まさに我が宗門の将来を担う優れた人物です。
 そして丙辰の夏、あなたは再び私の部屋を訪れ、自らの悟りの見解を示しました。そこで私が一言を投げかけると、長く抱えていた疑いは一瞬にして氷が解けるように消え、真の智慧へと通じたのです。
 これこそ、長い参究が一瞬の機縁に実を結ぶということです。私はその証として、あなたに如意を授けます。
 詩にいう。日頃から祖師の厳しい関門を突破しようと志し、世俗の塵を払い、山水の中に身を置いて修行してきた。そして今、究めに究めたその大事が、私の一言によって忽然として開けた。その歩みは、昔の聖賢たちと肩を並べるにふさわしい。
 慧林禅師が称えたのは、悟りそのものだけではありません。悟りに至るまで、決して根本の問いを手放さなかった一人の修行者の姿だったのです。



A言葉の理屈に逃げるな、自然の真理に身を晒せ(示中禅人)

【大意】
 公案の言葉や祖師の問答を知識として扱い、そこから答えを作ろうとする修行者への厳しい警告です。真理は、言葉を説明することによって現れるものではありません。目の前にある風や月さえ、余計な分別を加えなければ、そのまま真理を示しています。

【現代語訳・意訳】
 中よ、あなたは私のもとへやって来て、馬祖が弟子たちと月を愛でたという、あの有名な公案について尋ねました。
 仮にあなたが、その場で直ちに真理へ立ち返り、世俗を超え、あれこれと思考を巡らせなくなったとしても、それだけではまだ昔の人の言葉に一杯食わされているのです。
 まったく、この公案に登場する四人の男たちは、揃って三十回棒で打たれてよい。なぜなら、目の前には爽やかな風が吹き、清らかな月が照らしている。それだけで十分なのに、四人は集まって「あれは何だ」「これは何だ」と余計な理屈を並べた。せっかくの風月の静けさを、自分たちの分別でかき乱してしまったのです。
 中よ、お前も同じことをしてはいないか。答えようとしても言葉にならない。示そうとしても形をつかめない。そこでまた考え、また言葉を探す。
 それでは、木に余計な枝を生やし、竹の節にさらに節を作るようなものです。
 その余計な一手を加えるたびに、真実から遠ざかっていく。そんな有様では、私の棒を受けずに済むと思ってはならない。
 慧林禅師は、公案を難しく説明しているのではありません。むしろ「余計なものを足すな」と迫っているのです。



B自分を軽んじるな、百尺竿頭から一歩を踏み出せ(示要禅人)

【大意】
 「自分には悟れない」「昔の祖師には及ばない」と自分を小さく見積もることを戒め、決死の覚悟で一歩を踏み出せと鼓舞する教えです。徳山禅師、臨済禅師という激烈な指導で知られる禅師を引き合いに出しながら、最後には「仏祖であってもお前をどうすることもできない境地がある」とまで言い切ります。

【現代語訳・意訳】
 要よ、この根本の大事において、お前が頭で考えて心を動かす余地など一切ない。ほんの少しでも思考をめぐらせれば、真実からは万里も遠ざかります。
 だから昔の徳山禅師は、弟子が門に入ればすぐに棒で打った。臨済禅師は、弟子が門に入れば雷のような一喝を浴びせた。
 二人の手腕は、伝説の金翅鳥が大海を切り裂き、龍を直接つかみ取って呑み込むような凄まじさでした。
 ところが、理屈や知識に頼っている者たちは、その境地を頭で推し量ろうとする。そんなことで、どうして真理に届くことができようか。
 「何も言わないでおこう」と考えることさえ、また一つの思考です。そこに第二念を起こしてはならない。 昔の人は言いました。「あの人も立派な男だった。自分も同じ人間ではないか。どうして自分を軽んじて、自分にはできないなどと思うのか」と。
  要
 よ、もしお前が百尺の竿の先から、さらに一歩を踏み出すことができるなら、その時には私も、お前をどうすることもできない。過去・現在・未来の仏たちも、歴代の祖師たちも、天下の名僧たちも、お前をどうすることもできない。
 その言葉を、本当に信じられるか。
 金剛の宝剣は、頭上で容赦なく迷いの草を断ち切る。悟っているか、迷っているか、そんなことさえ、どうして気にする必要があろう。
 ここには、厳しさと同時に、慧林禅師の深い信頼があります。「お前にはできる」と信じているからこそ、「自分を軽んじるな」と叱っているのです。



C知識に固執せず、水上のひょうたんのように自由自在であれ(示空禅人)

【大意】
 知識や自分なりの理解に固執する修行者に対し、何ものにも引っかからない柔軟な心を求めています。悟りとは何か特別な答えを握りしめることではありません。むしろ、握りしめているものをすべて放ち、どこにも滞らない自由自在の境地へ至ることです。

【現代語訳・意訳】
 空よ、お前が私のもとへ来て質問するのは無理もない。時節因縁が熟せば、道理が自然に明らかになるということもある。お前にある程度の気づきがあることも認めよう。
 しかし、今のお前を見ていると、十牛図の牛もまだ十分には馴れていないようなものです。
 感情や邪念、理屈の塵に落ち込み、自分の身も心もすべて投げ出して、完全に無一物となるところまで届いていない。だから、行く先々で何かに引っかかり、滞りを生じさせてしまう。
 ほんの毛筋ほどの隔たりがあれば、そこから自分勝手な解釈が生まれ、対象と自分を分け、対立を作り出してしまう。
 まだ言葉以前の段階なのに、早くからあれこれと言い広め、言葉や理屈にとらわれて、かえって真実から遠ざかっている。
 空よ、もし今ここで、その理屈も執着もすべて放ち下ろすことができたならどうだろう。一日中、広々として何ものにもとらわれず、水に浮かべたひょうたんのようにあれ。
 上から押せば沈み、手を離せば浮かぶ。少し触れれば、くるりと転がる。どこにも引っかからず、何ものにも固まらない。そこにこそ、本当の自由自在があります。
 それができず、塩や酢や馬の鞍のようなものを拾って、「これこそ尊い宝だ」と思い込むなら、なんとも滑稽な話ではないか。
 慧林禅師が求めたのは、「何かを得る修行」だけではありません。むしろ、握りしめているものを一つずつ手放し、何ものにも妨げられない身心になることでした。



D参禅とは自己に参ずること、他人の言葉を拾うな(示雲禅人)

【大意】
 とりわけ慧林禅師の参禅観が端的に表れている教えです。禅とは仏祖や師匠の言葉を集めることではありません。結局のところ「自分自身を究める」ことです。

【現代語訳・意訳】
 参禅は自己に参ずるなり」。
 仏祖や高僧の教えを知識として集めることではない。もし自分自身を究めたいのであれば、目の前に現れるあらゆる形や色を突き抜け、強い意志をもって、自らの根本を究め尽くせ。そうして初めて、自分の足でしっかりと立つことができるのです。
 もしお前が、いつまでも曖昧な態度のまま、人の吐き出した古い言葉を拾い集め、それを自分のものだと思っているなら、この一生で本当の居場所を知ることはできない。千回生まれ変わったところで、悟りとは無縁のままだろう。
 悟りを求めるのに、特別な近道などない。ただ、いまこの瞬間の一心を保ち、一念を途切れさせず、ひたすらに参究せよ。
 そもそも、この大事は、仏や祖師や師匠が手取り足取り教えて授けるようなものではない。
 香厳智閑禅師がイ山霊祐禅師のもとで開眼した時のことを思い出せ。もしイ山禅師が、その時に答えを教えてしまっていたなら、香厳が後に得たあの大きな悟りの歓喜はなかったでしょう。
 昔の偉人たちは、知識を暗記して悟ったのではない。口から耳へと伝えられた言葉によって悟ったのでもない。自分自身で究め、自分自身で突き破ったのです。
 だから、師の言葉を求めすぎてはいけない。師の言葉の向こう側に、自分自身を見なければならないのです。



E余計な手を加えるな、旅立ちの中で本物を掴め(示昭侍者)

【大意】
 一年間、慧林禅師の身近に仕えた昭侍者が旅立つにあたり、師が贈った法語です。「お前の本性には最初から傷がない」と告げます。

【現代語訳・意訳】
 昭よ、お前の今の態度は、まだにわか仕込みで、浅い見解にとらわれている。細かな分別の塵を払い切れていない。
 普段から私の側にいて身の回りの世話をしているが、お前が何も言わなくても、その未熟さは自然と表に現れている。私が一度、二度と呼びつけて揺さぶっても、せいぜい風が吹いて門が少し開く程度だ。そこから勝れた境地が出てくるわけではない。
 真理の関門は、稲妻のような鋭さを求める。そこで妙な理屈をひねり出せば、たちまち棒を受け、喝を喰らうことになる。たとえ少しばかり自由になったとしても、まだ理屈や迷いの跡が残っているなら、それを見逃すことはできない。
 私のもとでの生活は単純だった。用事があれば呼ぶ。用事がなければ静かにしている。
 もしお前が本当の男子なら、私のこの一言の下で、自分の鼻孔をひっくり返してみせよ。そうすれば、お前自身の中に、もともと輝いている光明が現れる。
 しかし、行くか引くかで迷い、「何かを得たい」「何かを失いたくない」と損得を考えているなら、生涯、影や幻を追いかけるだけで終わってしまう。
 昭よ。お前が私に仕えて、もう一年になる。今度、武陵へ行くという。教えを求めてきたから、旅立ちの言葉を贈ろう。
 もしお前が「参禅して道を学ぶとは、一体どういうことですか」と尋ねるなら、私はこう答える。
 「幸いにも、お前の本性には最初から何の傷もない。だから、余計なことをして自分自身を傷つけるな。」
 お前がタオルや水瓶を手にして、私の側で仕えてくれた日々も、すべて禅の営みだった。それなのに、私が呼びかけた一瞬の機縁において、なぜまだ完全な円満に達することができなかったのか。
 さあ、旅立ちなさい。各地をめぐり、教えを請い、しっかりと力をつけてこい。そしていつの日か、ここへ戻ってきた時には、私の容赦ない拳を真正面から受け止めてみせよ。



F現状に甘んじるな、さらに一層の楼閣へ登れ(示別傳經上座)

【大意】
 誠実な修行と深い道力を認め、法衣を授けるにあたって贈られた励ましの言葉です。慧林禅師はこれまでの歩みを心から認めながらも、「ここまで来た」と安住することを許しません。正法を背負う者となるためには、さらにその先へ進めと促します。

【現代語訳・意訳】
 この根本の大事というものは、重い荷物を背負って険しい山を登るようなものだ。一歩でも気を抜き、力が尽きれば、荷物もろとも谷底へ落ち、この身を一瞬にして失うことになる。
 上座よ、朝から晩まで心を引き締め、どれほど苦労や難題が重なろうとも、努力して道を究めていきなさい。そうすれば、やがて黄金や宝玉のような境地へと至ることができる。
 あなたは生まれつき誠実で温厚な人柄を備え、修行にも途切れがない。仲間とは広い心で交わりながら、自分自身に対しては厳しく心を錬磨している。私からどのような役目や試練を与えられても、嫌な顔一つ見せない。深い道力がなければ、どうしてこのように振る舞うことができようか。しかし、それでも満足してはいけない。昔の人は言った。「千里の彼方まで見渡したいなら、さらに一層上の楼閣へ登れ」と。今いる場所に安住せず、さらに一歩、さらに一歩と進みなさい。
 もしぬるま湯のような安楽に浸り、そこで満足してしまうなら、仏や祖師の恩に報いたいと思っても、その道からは天と地ほど遠ざかってしまう。
 仏祖の恩に報いるために、特別な方法があるわけではない。自ら正法を背負い、立ち上がること。それだけです。
 そのためには、気概を奮い起こし、「過去の仏や祖師でさえ到達できなかったところまで、さらに突き抜けてやる」というほどの大志を持たなければならない。それほどの覚悟があって初めて、人を導く真の師となることができる。
 金は練れば練るほど純粋になり、玉は磨けば磨くほど輝きを増す。あなたのこれまでの歩みは私の心に叶う。だからこそ、私はこの言葉を贈り、あなたを讃えずにはいられない。
 ここに固い約束の手を差し伸べ、法継承の証として法衣を授けよう。これから各地をめぐり、さらに道を修めなさい。途中で弱気になって退いてはならない。
 いつの日か、これまでの固定観念も、世俗の目も、すべて打ち破り、真実を根底から開くことができたなら、あなたはこの世界に立ち上がる風雲を受け止め、天を支え、地を支えるほどの大人物となるだろう。



■慧林禅師の修行僧へ送る言葉とは

 慧林禅師の修行僧への言葉は、ときに驚くほど激しいものです
 理屈をこねれば棒を受ける。知識に逃げれば一喝される。自分を軽んじれば叱られる。少し悟ったと思って安住すれば、「さらに上へ登れ」と追い立てられる。
 しかし、その厳しさをただの叱責として読んでは、本当の意味は伝わりません。
 鶴翁道人には、長年の修行を称えて如意を授けました。
 要禅人には、「自分を軽んじるな」と、その可能性を信じて叱りました。
 雲禅人には、「参禅は自己に参ずること」と、自分自身の足で立つ道を示しました。
 昭侍者が旅立つ時には、「お前の本性には最初から何の傷もない」と告げて送り出しました。
 別傳經上座には、これまでの修行を認めて法衣を授け、それでもなお「さらに一層の楼閣へ登れ」と未来を託しました。
 慧林禅師は、弟子を自分の言葉に依存させようとはしませんでした。

 ・師の言葉を覚えることではなく、自分自身で究めること。

 ・師に認められることではなく、自分自身の足で立つこと。

 ・自ら正法を背負って歩ける人物になること。

 それが慧林禅師の教えだったのではないでしょうか。弟子を弱い存在として見ていないからこそ、その言葉は厳しいものとなります。

 「お前にはできる。」

 「お前自身で究められる。」

 「だから、逃げるな。」

 その揺るぎない信頼があるからこそ、慧林禅師は弟子たちに手加減なく迫ったのです。そして、その厳しさの一番奥にあるものこそ、弟子を一人前の道者として立たせようとする、師の深い慈悲だったのでしょう。

 ・日常から逃げない。

 ・言葉に逃げない。

 ・自分を軽んじない。

 ・どこにも滞らない。

 ・さらに一歩を踏み出す。

 それが、慧林禅師が修行者たちに示した道です。