●慧林禅師参禅の偈



 慧林禅師は多くの語録を残されましたが、黄檗僧の言葉は読み解くことが容易ではありません。 児孫と称しております我々ですが、殆ど慧林禅師のお言葉を顧みる機会はありませんでした。 取り付く島も無い状態ではありましたが、幸いにも禅師は『慧林禅師語録六巻』の中に「参禅之偈十首」を残されています。 十首ともに「参禅者(禅を修行する者)」に対して「いかに心得て修行すべきか」を簡潔に説かれたものです。
 これを解読すれば慧林禅師の言葉を少しでも受け止める機会を得ることが出来るのはないかと思い立ち、この度、口語訳の作成を志した次第であります。

 口語訳を作成にあたって花園大学の野口善敬先生、学友の小林良幸氏には多大なるご協力を賜りましたこと、ここに深く御礼申し上げます。
 


一、
禅の修行をする人は、一(絶対化された規範)に囚われてはいけない。
死法(固定観念化された教学理念)に拘泥すれば不治の病となる。立派なやり手は、他の道に還り棘の林を出ることを教えてくれるだろうが、カモシカが寝る時に、角を樹木に掛けて足をあげ足跡を残さないように、本当の修行は取り付く島もないのだ。

二、
禅の修行をする人は、必ず心を滅却しなければならない。 決して忙しくそわそわと外に向かって、何かを求めてはいけない。突然、自己の本性に突き当たれば、やっと〔悟りの本体は〕円明(欠けることなく明らか)で昔も今も変らないことが納得できよう。

三、
禅の修行をする人は、勝負を争ってはならない。 自身に本来具有された心にはっきりと拠りしたがうならば、〔ありのままが仏であり〕過不足はない。目の前の真理を引き受けずに、〔自信がないので〕占いにたよるようでは、ますます病が増す。

四、
禅の修行をする人は、激しく奮い立たなければならない。 心の燈が明るくなったり暗くなったりしているならば、灯芯を摘まんで明るくしなさい。 〔身にしみこんだ〕習気が消え失せて面の皮が入れ替わったなら、すっきりと大悟徹底し自然に発する一声が雷のように轟くであろう。

五、
禅の修行をする人は、いらぬはからいをしてはならない。 〔貴重な〕宝玉の屑でも〔目に入れば〕もとより目を曇らすことになる。衣の中に〔もともと〕珠が縫い込んであるのだから、 自ら取り出して用いればよいのだ。何で計を廻らし〔己の外に〕高価な宝を求める必要があろうか。

六、
禅の修行する人は、思いきりよく決断することが必要である。 もたもたとしていたら何時までたっても終わりはこない。 この世界の果てを囲む鉄囲山の二重の山々をけり倒し、瞬時に〔堅固な〕金剛〔のような仏〕の足があらわれるだろう。

七、
禅の修行をする人は、すべての執着を離れており、なにかを取ったとしても自分のものにするわけではないから捨てるものもない。 そんなありさまで東奔西走していたら、隣村のオバサンに笑いとばされることであろう。

八、
禅の修行をする人は、〔他人にとやかく言う前に〕速やかに自己を返り見なければならない。 本物の修行者には〔口や耳といった〕穴はついていないものだ。悟りも迷いも空花〔のように実体がないもの〕なのに、 なんでまた〔臨済和尚のように〕三玄とか三要とか〔いらぬことを〕説こうか。

九、
禅の修行をする人は、志を堅固にしなければならない。 一生懸命に研ぎ磨けば石をも貫き通すものだ。もし皮〔の下〕に血が流れていない一人の男子が、ひと筋〔の血〕を流すならば、 〔その血しぶきは〕天に届くことだろう。

十、
禅の修行をする人は、戒を浄らかに修めなければならない。 〔三学の〕大本である戒が浄らかに修められていなければ、よこしまで穢れた世界に入ってしまう。無常〔という死に神〕はあっという間にやってきて〔死期を迎えて〕眼の輝きは失われ、〔輪廻して〕姿形を変えながら、過去世の負債を償うことになるぞ。



  参禅偈十首

 参禪人莫執一死法拘牽成痼疾好手還他出棘林□羊掛角無尋跡

 参禪人須死心切莫波波向外尋忽然撞着自家底始信圓明非古今

 参禪人莫闘勝據本分明無欠剩現成公案不承當鑚龜打瓦重増病

 参禪人須奮激心燈明滅宜挑剔習氣消融轉面皮豁然団地如雷霹

 参禪人莫妄營玉屑由来翳眼晴衣裏有珠自取用何須百計□連城

 参禪人要果决稍渉遅疑何時歇□倒鐵圍山兩重刹那露出金剛脚

 参禪人赤灑灑取非其有復何捨與麼東去又西馳笑殺東林王大姐

 参禪人亟返照本色道人無孔竅涅槃生死等空花説甚三玄又三要

 参禪人志須堅激切磨□石也穿若個男兒皮没血一絲濺出便冲天

 参禪人須浄戒戒根不浄入邪穢無常迅速眼光落換面改頭償宿債

  ※残念ながらHPでは複雑な文字が出ません