●佛日寺の大涅槃図

佛日寺大涅槃図 (平成31年春修繕完了)



 涅槃(ねはん)とはサンスクリット語「ニルバーナ」の訳です。お釈迦様がお亡くなりになること、または苦しみの原因となる「煩悩の火」が吹き消された悟りの境地をいいます。

 お釈迦様は35歳で菩提樹の元でお悟りを開き、45年間インドを巡り、その教えを人々にお説きになりました。
 80歳の時、立ち寄った村の鍛冶屋の息子純陀より、きのこ料理の供養を受けたことで食中毒になりました。体調を崩されたお釈迦様は2月15日の満月の夜、クシナガラ郊外の沙羅双樹林に床をつくり身を横たえました。頭を北に右脇を下に顔を西に向けて静かに入滅されました。「頭北面西右脇臥」といい、これが北枕の始まりです。周りにはお弟子さんや菩薩、天部、様々な動物達 が取り囲み涙を流して悲しみました。お釈迦様の最期の場面を描いたものを涅槃図といいます。

 佛日寺が所蔵する大涅槃図は縦380p、横307p(320p【軸先含む】)あり、池田市内でも有数の大きさを誇ります。
 しかし、大規模であることが災いして寄贈後直ぐに破損してしまい、長年にわたり木箱に仕舞い込まれておりました。お日様にも人の目にもふれるなく、幸か不幸か紙焼けも少なく絵具も鮮やかな色を残しております。


  大涅槃図を納める木箱の蓋に

   釈迦文佛涅槃像 摩耶山佛日寺安供

  木箱の裏には

   寛文四年歳次甲辰蘭盆後三日 十方諸善信捨置

 と墨書されています。

 「寛文四年歳」とは、江戸時代1664年のことで、

 「蘭盆後三日」とは、夏のお盆期間(8月13日〜15日)の3日後をいいます。

 「十方善信捨置」とは、様々な信徒が寄贈したという意味です。

 佛日寺の開基であり、この池田の地を所領した麻田藩主青木重兼公と共に信仰心厚い地域の檀信徒による寄進であると考えられます。

 画家名は無記載ですが、偶然にもこの年は大本山萬福寺の涅槃図(木村徳応作)の寄贈年と重なります。

 関係性はこれから解明されることと思います。


  

  本図の右端には紺を背景に

   若謂吾滅度非吾弟子

   若し吾れ滅度と謂はば吾が弟子に非ず

  一方、左端には

   若謂吾不滅度亦非吾弟子

   若し吾れ不滅度と謂はば、亦吾が弟子に非ず

  と金泥で文字が書かれています。

   まるで、黄檗宗寺院の山門等の両端に飾られる
 聯(れん)を想わせます。


  

  表装は五色の牡丹文

  風帯と一文字回しには六弁の桔梗紋が描かれています。

  描き表具であり大変手間の掛かった代物といえます。


 

  涅槃図においては沢山の動物がお釈迦様を取り囲みますが、

  本図では本来描かれない虎猫が描かれています。

 


 この度(平成31年3月3日)数百年前の人々の想いが時代を経て皆様の想いと重なり、当時の姿を取り戻しました。御佛縁の有難さを感じます。


⇒  [ 大涅槃図修繕披露 涅槃会 特設ページ ]




 これから毎年2月15日に涅槃会を厳修致します。その際は本堂正面に大涅槃図をかけておまつりします。

皆様どうぞお越し頂き、御佛縁をお結びいただければ幸いでございます。