●佛日條目



■はじめに
 「條目」は、宝暦六年(1756)十一月に定められた、佛日寺の寺院運営、住職の選任、伽藍の維持管理、ならびに後見体制に関する重要な規定である。
 本條目では、まず佛日寺が麻田藩の先祖によって建立された由緒ある寺院であることを重んじ、先祖の祭祀を従来どおり大切に守るべきことが定められている。また、住職の選任については、慧林和尚の法脈に連なる弟子・法孫の中から適任者を迎えることとされており、先に制定された「佛日規條」(→ページ)に示された住職相承の基本方針を引き継ぐ内容となっている。
 さらに、住職の選任に際しては、寺内の僧侶方の意見も踏まえ、六ヶ院と評議したうえで関係者に相談することが定められている。ここには、先年、黙堂和尚が住職であった際、了心院殿・春徳院殿との相談によって定められた條目の存在にも触れられており、佛日寺において以前から住職の選任や寺院運営に関する規定が設けられていたことがうかがえる。
 本條目の大きな特徴は、佛日寺の後見を担う六ヶ院を定めていることである。当初は、大舟寺・福田寺・龍興院・怡楽寺・臥龍庵・間夢庵の六ヶ院が後見を務め、時の住職と協議しながら、寺院の諸事を佛日寺の将来にとって最善となるよう取り計らうこととされた。また、六ヶ院が遠方にあり、たびたび集まることが困難な場合には、一院ずつ年番を定めて相談にあたり、特に重要な案件については六ヶ院全員で協議することが定められている。
 寺院の維持管理についても具体的な規定があり、毎年、伽藍の修覆に心を配り、建物が破損しないよう努めること、修覆費用については知行の中からも備えることが示されている。また、境内の竹木をみだりに伐採することを禁じ、用材が必要な場合には六ヶ院と相談し、特に大木を伐採する際には関係者へ申し出ることが定められている。
 さらに、この條目には明和三年(1766)九月付の改定が追記されている。これは、当初六ヶ院の一つであった山城国愛宕郡片木原村の間夢庵が、法系の異なる僧侶に寺を譲りたいとの事情から、佛日寺にその旨を願い出たことによるものである。
 この願いを受け、佛日寺において六ヶ院の評議が行われ、その結果、間夢庵に代わり、同じ黙堂派に属する当国豊島郡畑村の天光寺を新たな六ヶ院の一つとして加えることが定められた。この変更は、美濃守にも聞き届けられ、以後の六ヶ院は、大舟寺・福田寺・龍興院・怡楽寺・臥龍庵・天光寺の六ヶ院とすることが正式に定められた。
 この改定からは、六ヶ院の構成が固定的なものではなく、寺院の事情や法系を考慮し、評議を経て適切に変更されていたことが分かる。また、佛日寺の後見体制が、住職一人の判断に委ねられるものではなく、複数の寺院による協議と合意のもとに維持されていたことも読み取ることができる。
 本條目は、先の「佛日規條」とともに、佛日寺の法脈と住職相承のあり方を支えた寺院運営の仕組みを伝える重要な歴史資料である。とりわけ、宝暦六年の制定から明和三年の改定に至る経緯は、佛日寺と六ヶ院との関係、さらには当時の黄檗宗寺院間のつながりを知るうえでも貴重な記録といえる。
 ここに、その現代語訳と原文を掲げ、佛日寺の歴史と寺院運営の実態を後世に伝える資料として紹介するものである。

【宝暦六年 十一月制定】
一、佛日寺の由緒と先祖の祭祀について
 佛日寺は、先祖によって建立された由緒ある寺院である。その定めや規則を厳格に守り、先祖の祭祀などについても、従来どおり大切に行うよう心掛けること。
一、住職の選任について
 住職の職については、慧林和尚の児孫(法脈に連なる弟子・法孫)の中から、適任者をこちらから迎えるものとする。
 もっとも、寺内の僧侶方に意見や考えがある場合には、その都度、住職が下記に記す六ヶ院と評議したうえで、こちらへ内々に相談すること。
 先年、黙堂和尚が住職であった際にも、了心院殿・春徳院殿と相談のうえで定められた條目があるので、そのことも心得ておくこと。
一、寺院の修覆と境内の竹木について
 毎年、建物の修覆に心を配り、破損することのないようにすることが肝要である。
 修覆については、あらかじめ定められた知行の中からも費用を備えておくこと。
 また、寺内の竹木をみだりに伐採してはならない。
 用材などが必要となった場合には、六ヶ院と相談のうえ適切に取り計らうこと。特に大木を伐採する場合には、必ずこちらへ申し出ること。
一、佛日寺の後見を担う六ヶ院について
 当初の六ヶ院は、次のとおりである。

 大舟寺 福田寺 龍興院
 怡楽寺 臥龍庵 間夢庵

 今後は、右の六ヶ院が佛日寺の後見を務め、その時々の住職と評議しながら、あらゆる事柄について、将来にわたり寺院にとって最善となるよう取り計らうこと。
 もっとも、各寺院が遠方にあり、たびたび集まることが大きな負担となる場合には、右の六ヶ院の中から一名ずつ年番を定め、相談にあたること。 ただし、特に重要な事柄については、六ヶ院全員が集まって協議するのが望ましい。
 
一、以上の條々について
 以上の條々は、佛日寺ならびに慧林和尚の児孫にとって大切なことであるため、このたび改めて申し出たものである。その趣旨を十分に心得ておくこと。その他、これまでこちらからたびたび送ってある條目についても、監寺寮に壁書として掲示し、僧侶一同が目を通すようにすること。
 宝暦六年丙子年 十一月
     太田佐兵衛 牛暢(花押)
     中村伊兵衛 政陣(花押)
佛日寺


【明和三年(1766)九月改定】
 右の六ヶ院のうち、山城国愛宕郡片木原村の間夢庵については、事情があって、法系の異なる僧侶に寺を譲りたいとの願いがあり、佛日寺に申し出があった。
 これを受けて、佛日寺において六ヶ院の評議を行い、黙堂派に属する、当国豊島郡畑村の天光寺を新たに加え、六ヶ院の一つとして佛日寺の後見を務めさせたいとの願いが出された。
 この願いは、やむを得ない事情によるものとして、美濃守にも聞き届けられた。
 よって、今後は次の六ヶ院とする。

 大舟寺 福田寺 龍興院
 怡楽寺 臥龍庵 天光寺

 以上のとおり、このたび改めて定めるものである。
 なお、諸事については、前記の條目のとおり守ること。
 また、間夢庵が六ヶ院を退くことについては、末尾に願書が添えられている。
 以上のとおり、今後はこの定めに従うこと。
 明和三年丙戌年 九月
     中村伊兵衛 政陣(花押)
     関長兵衛 之中(花押)
     青木忠右衛門 一及(花押)
佛日寺


【本文】
 條目
一、佛日寺先祖建立之地法令厳密、先祖
  祭祀等従前之通大切有之候様ニ被存候事
一、住持職之儀慧林和尚児孫之内ヨリ其仁
  此方ヨリ可被請候、尤格徒中存寄之儀茂
  候者、時々住持左ニ記候六ヶ院評議之上、
  此方江内談可有之候、先年黙堂和尚住職
  之内了心院殿春徳院殿相談之上被定置候
  條目茂有之候事
一、年々修覆等心掛及破損ニ不申様肝要之事、
  兼知行之内ニ而茂修覆等之覚悟可有之、
  将又地内竹木猥ニ伐申間鋪、尤用木等ニ
  入候節六ヶ院と相談之上可然、格別大木伐
  申節者此方江可被相訴事

   大舟寺   福田寺   龍興院
   怡楽寺   臥龍庵   間夢庵
  自今右六ヶ院被致後見、時之住持ト評議
  萬事後々為寺宜様ニ取斗可有之、尤
  各々遠方度々聚会大造ニ茂候者、右六ヶ院
  之内一人宛年番被相極可被及相談、尤何ソ
  格立候儀者六ヶ院聚会可然事

右之條々其寺□慧林和尚児孫太切ニ被存候故、
此度改被申出候間、其旨御心得可有之事、
 其外度々此方ヨリ遣置候條目監寺寮壁書被致、
 衆僧迄茂見分被致可然事
  宝暦六丙子年        太田佐兵衛
       十一月        牛暢(花押)
                中村伊兵衛
                  政陣(花押)
    佛日寺


六ヶ院

右六ヶ院之内山州愛宕郡片木
原村間夢庵故有之、法系違之
僧江相譲リ度、佛日寺江被相願
候ニ付、於佛日寺六ヶ院評議
之上、黙堂派ニ候当国豊嶋郡
畑村天光寺相加ヘ、六ヶ院ニ定
佛日寺後見ニ被致度、願之趣
無拠儀ニ付美濃守被聞届、向後
左之通

  大舟寺  福田寺  龍興院
  怡楽寺  臥龍庵  天光寺

右之通此度相改メ定被置候、尤
諸事前條之通可被相守候、
間夢庵被相退候儀者、奥ニ願
書有之候事候、仍而已来如件
 明和三丙戌年九月  中村伊兵衛
             政陣(花押)
           関長兵衛
             之中(花押)
           青木忠右衛門
             一及(花押)
 佛日寺
   六ヶ院

■翻刻にあたって
 本資料の翻刻にあたりましては、豊中市職員の濱田恭幸氏にご尽力を賜りました。
 古文書の解読と翻刻には、専門的な知識と細心の注意を要するものであり、今回、「佛日規條」を紹介するにあたり、多大なるご協力をいただきましたことに、心より感謝申し上げます。
 この文書を正確に後世へ伝え、佛日寺の歴史と法脈の継承を広く知っていただくための大きな一助となりました。
 ここに記して、深く御礼申し上げます。