●隠元禅師が味わった佛日寺





■はじめに

 佛日寺の開山であり、黄檗宗の宗祖である隠元隆g禅師は、佛日寺の草創期にこの地を訪れ、その風景と寺のたたずまいに深い感銘を受けました。
 このページで紹介するのは、『摩耶山寺志』に所収の「遊佛日寺」および、隠元禅師が佛日寺で詠まれた詩です。万治2年(1659)に初めて佛日寺を訪れた際の記録と、寛文5年(1665)に慧林性機禅師に請われて再び訪れた際の詩が残されています。
 最初の訪問は、佛日寺がまだ草創の時期にあったころのことです。隠元禅師は、摩耶山の豊かな自然と寺院の景観を愛でながら、この地に仏法の光が輝くことを願い、「佛日」という名を与えました。そして再び訪れたときには、堂宇が整えられ、多くの修行僧が集う寺へと発展した佛日寺の姿を目の当たりにしています。 そこには、単なる名勝としての摩耶山や寺院の美しさだけではなく、山林の静けさ、松風や鳥の声、四季の草木、そしてそこで修行する僧侶たちの姿を通して、佛法が息づく「禅の道場」としての佛日寺が描かれています。
 また、隠元禅師が自ら「佛日」の名を与え、その後の発展を見届けていることは、佛日寺の歴史を考えるうえで大きな意味を持っています。
 なお「佛日」の名を与えたことについては、別ページ(→宗祖御命名の寺号『佛日寺』)でも詳しく紹介しています。そちらでは、『端山正和尚紀年録』および『普照国師広録』をもとに、松隣寺から佛日寺への変遷と、「佛日」という寺号に込められた隠元禅師の思いについて取り上げていますのであわせてご覧ください。



■「遊佛日寺」意訳

 己亥(1659年)の2月13日、端山居士(麻田藩主青木重兼公)が摩耶山の麓に構えていた精舎(寺院)が完成し、私(隠元禅師)を招いて遊観させてくれた。私は佛座にくつろぎ、あわせて扁額の揮毫を行った。この日は天が晴れ渡って気候も朗らかであり、輝かしい紅の光が一面に照り輝いていた。中国(明)と日本という二つの国の僧侶が一堂に会したことは、非常に稀で素晴らしい出逢いであり、まことにおめでたいことである。
 周囲の景色を眺め渡せば、幾重もの峰々が緑をめぐらせ、多くの川の流れが一処に集まるように、山々が重なり合ってこの地を優しく抱きかかえており、素晴らしい景勝があますところなく現れている。配置や構想は細部まで洗練されており、引き入れた水は心地よい音を立て、穀物を植え鳥を棲まわせる様子も、あたかも自然の造形のようである。しかし、この風景の骨組みが天の巧みな業(わざ)によるものであると同時に、人間の手が加わることでその美しさが完璧なものとなっているのだ。ここを訪れ鑑賞する者は、誰しも心が開けて伸びやかな気持ちとなり、善を好む心がさらに深まることだろう。
 ましてや、魚に従えば魚は自ずから躍り跳ね、林に身を任せれば鳥たちが和やかに鳴き交わしている。四季折々の草木は芳しい香りを放ち、これぞまさに「心が雑念を忘れ、環境が静寂に包まれる」境地である。生きとし生ける魚や鳥とともに佛の後光を輝かせ、先人の導いた禅の教え(祖風)を今に蘇らせている。そこで、私はこの寺に「佛日寺」と名付けた。もし将来、この禅の林がさらに大きく発展させていけばと願う。静業に励み、この清らかな寺院(招提)を開創した当初の尊い願いを、どうか決しておろそかにしないように。その思いを称えて、ここに詩偈を詠む。
 摩耶の地に佛日が誕生し、そのめでたい光は世の中全体(諸夏)を明るく照らしている。この光と影に浴するとき、心が清らかにならない者など一人もいない。私の心は佛の日の光と同じであり、私の願いもまた佛の御心と同じである。あかざの杖をついて歩み進む先々には、少しの塵や穢れも付着することはない。心は空のように丸く満ち足りており、心が空(執着のない状態)であることこそが真の智慧(般若)である。心は鏡のように清らかで澄み渡り、その心の光は大野原のすみずみにまで行き渡る。
 思い通りに行くことも(順)行かないことも(逆)、根底においてはありのままの真理(如如)であり、世に出て働くことも退いて隠れることも(行蔵)、どちらも風雅な姿である。佛の光が人々の心を照らしているのだから、私たちがどうしていい加減な生き方をできようか。ほんの一瞬の心が万年に通じており、何を拾い上げ、何を捨て去る必要があろうか。不二の法門に入ることができれば、本物か偽物かという相対的な違いすら超越する。
 この心の広がりは一点の虚飾もなく完全に空であり、言葉や文章で書き表すことは到底できない。佛法の偉大な働き(大用)が目の前に現れるとき、まるで大空全体が連なって打ち寄せてくるかのようである。この大いなる働き(大機)は並大抵のものではない。たとえ他人に笑われ、罵られたとしても何の問題があろうか。真理の法のためならこの身を忘れて投げ出すべきであり、真の金が大きな鍛冶炉で打ち鍛えられることを喜ぶように励むのだ。鍛え上げられれば鍛え上げられるほど、輝きはいよいよ増していき、どこかに留まることも、手に捉えることもできない。これこそを「真の佛日」と呼び、広く全世界をあまねく照らしていくのである。


■「重遊佛日寺」意訳

 再び佛日寺を訪れてみれば、その風光は一段と素晴らしい。雑多な迷いやさまざまな思いも、この地にやって来ればすべて忘れ去られていく。佛道の神髄は青々とした山々と呼応して共に頷き合い、心の働きは澄んだ緑の水に投じられて自づから美しい文章を成すかのようである。日頃の思いの濃淡は流れる雲が開けてはまた閉じるかのようであり、この地を流れる清らかで深い一筋の教えの源流はどこまでも深く、永遠に続いていく。さらに摩耶山の山頂へと登りつめて見渡せば、空一面に瑞気が満ち満ちて、吉兆の光に包まれている。
 乙巳(1665年)の9月19日、法子の慧林に請われて、再び佛日寺を訪れた。


■(一)

 かつて訪れた日々が昨日のことのように思い出されるが、今やこの地に立派な寺院が完成し、大いなる天の調べを奏でている。幾度も山を登り修行を重ねてきた姿はまさに真の鉄人であり、千回も百回も鍛え上げられてついに揺るぎない金身となったのだ。堂の軒先に座ればあらゆる執着を断ち切った「主の中の主」であり、型にはまった世俗を脱して伸びやかに遊ぶ「賓の外の賓」である。姿形や名声といったにとらわれず、昔も今も重んじられており、その厳かな佇まいは風のように清々しく、生まれつきの純粋な心(天真)を楽しんでいる。


■(二)

 目を上げればいつの間にか晩秋の霜が降りる季節となっており、私はわざわざこの選佛場(佛日寺)を再び訪れた。ここに身を置けば大いなる調和のなかに包まれて常に心爽やかであり、佛日寺を幾度となく訪れてその風光はいよいよ素晴らしいと感じられる。楓の木々は風に吟じるように葉を落として林に錦の絨毯を敷きつめ、竹垣のそこここには菊花がほころんで、まばらな影を地上に落としている。緑豊かな松は芳しい香りを放ち、鶴の鳴き声が心地よく響いている。老いてなお深まる風流の興は丸く満ち足りており、瑞気は永遠に途切れることがない。


■「次早観日」

 誰が禅寺の扉を揺らして半開きにしたのだろうか。たちまち太陽が昇り、西から渡ってきた佛法の道を明るく照らし出す。身をひるがえして見極めれば、東の地に古くから伝わるめでたい兆しがはっきりと見える。その顔つきを観れば、上品の大器が完全にあらわれている。国の運気にはめでたい兆しとして特別な相が現れ、佛法の教えには徳が備わって素晴らしい名声にふさわしい。佛日が天下を照らす時代に巡り会えたことを歓喜する。厳しく鋭い禅の教えの綱領は、世界のすみずみにまで行き渡っている。


■「過及第堂併聴松堂」

 しばし黄檗山の松の木を離れ、たまたまこの及第堂(禅堂)へとやって来て、松を渡る風の吟詠に耳を傾ける。この庇の下にたたずめば、世の中の音や色彩といったものは元々むなしい響きに過ぎないことが自ずと解る。ほんのひととき感覚や対象(根塵)に身を委ね、夢から醒めさせる鐘の音を聴くのだ。学問は完璧な円満さをもって満ち足りてついに悟りを得ており、その禅の境地はあらゆる規格を超越して永遠に足跡すら残さない。昨夜は気候も暖かく、角のない龍に角が生えて天へと昇ったかのようだ。まさにただ一人、鰲頭の第一峰を独占しているのである。


■おわりに

 隠元禅師は山や水、草木や鳥の姿に心を寄せながら、静かにたたずむ佛日寺と修行に励む僧侶たちの姿を重ね、この場所に佛の教えが根づいていく姿を思い描いていたのでしょう。自然の美しさと禅の修行が一つに溶け合う摩耶山の地。その中に「佛日」という名を与えた隠元禅師の思いは、今も佛日寺の名に受け継がれています。この詩文を通して、開山隠元禅師の眼に映った当時の佛日寺の姿を感じていただければ幸いです。