貞享2年(1685年)6月、北摂三十三ヶ所観音霊場の二十七番に選ばれ、次の御詠歌が作られた。
秦野のなる 梅咲く寺の み仏の たかきめぐみを あおうぐ今日かな。
「秦野にある梅の咲き乱れる寺に、います仏さまの尊い慈しみを、仰ぎ慕う今日この頃でございます。」という意味であろう。また、初代麻田藩主青木一重公の院号が、梅隣院殿である。梅の花を友として、こよなく愛でられたお殿様という尊称である。
かって、この地は梅林で有名であった。梅の花の咲く季節になると、花見客でたいそう賑わったそうである。
現在、梅林は、住宅地に変貌し、そのおもかげは、佛日寺の境内に残すだけになってしまった。いずれは、人々の梅林の記憶は、完全に消え去ってしまうにちがいない。
梅に思いを馳せて
一 ゆきみぐさ 可憐なる純白の花びら、覗き込めば、黄金のめしべとおしべが鎮座ます。なんと仲のよきことか。後に、実を結び、子々孫々にうけつがれ、色も形も香りも、今も昔もかわりなく綿々と生き続ける。枝に頂く雪のごとく、散りては、ひらひらと舞う小雪のごとく、地にありては、鹿の子絞りのごとし。
二 木に咲く花 ごつごつと節くれ立った幹は、たくましい。切っても切ってもしなやかで、直なる枝を伸ばす。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」切れば切るほど、強くなり、やさしい花をつける。「梅一輪一輪ほどのあたたかさ」春をつげる花なれど、厳寒にあって、ほのかに温もりを与える。強さと優しさを兼備する。
三 花のあに 純心で虚飾を嫌う。新春を寿ぐお芽出たき日に、ほんのりと漂う高貴な香り、梅雨の頃、まるまるとはちきれんばかりの青梅は、ビロードのうぶ毛をおおい、内には青酸を含む。夏になると、天日に干され、紫蘇にもまれ、手塩にかけられると、霊妙な薬となる。
●梅の句---飯田龍太自選自解句
池田の佛日寺とかいう寺で俳句会があった。
席上、この近くに日野草城氏が病養されていると聞いた。
会の合間、医師の細田寿郎氏とお見舞いに行くことにした。
意外に道のりがあった。
青みはじめた麦畑のなかの道は、三月の陽を照りかえして、肥えた寿郎氏は、すっかり汗にまみれた。
やっと訪ね当てた氏の家の生垣のほとりで、しばらく汗のひくのを待った。
ひっそりした家のなかから、いくたびか咳がきこえた。
一瞬寿郎氏の眉がくもったようである。
重患を予知したのであろう。
病床の氏は、窶れ果てていたが、突然の来訪をたいへんよろこんでくれた。
その眼は童女のようであった。
癒ったら、是非一度甲州へお訪ねしたいと言った。
その間も咳きつづけて、息苦しそうで、気が気ではない。
帰路はふたりとも全く無言で道を急いだ。
佛日寺の梅は七分咲きで、見ごろであったように思うむ。
それからいくばくもなくして氏の訃を聞いた。
昭和二十七年三月作『百戸の谿』所収
『新装版 飯田龍太自選自解句集』講談社P16より
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