1.柏樹子の庭
無門関の第37則に、趙州、因みに僧問ふ、「如何なるか是れ祖師西来の意」。
州云く「庭前の柏樹子」。とある。
或る修行僧が趙州禅師に尋ねた。「達磨大師がインドから中国に来られた意義は」。そこで、趙州禅師は「前の庭に生えている柏樹子の木である」と答えた。
この『柏樹子』というのは、木の名前で別名を『柏槙(びゃくしん)』と言う。
『柏槙』は、禅寺によく植えられている香木で、仏具等に使われている。
また、隠元禅師が来朝の際、妙心寺を表敬訪問し、妙心寺のご開山関山国師の語録を拝見したいと願う。
しかし、関山国師には語録がないので、愚堂禅師は、「柏樹子の語に有賊機」という名言だけが残っていると答える。
この名言に、いたく感動した隠元禅師は、「日本に滞留すること」・「日本黄檗山万福寺を開山すること」・「臨済正宗黄檗派を開宗すること」を決意したと言われている。
隠元禅師ゆかりの佛日寺に、禅師が発意した『柏樹子』を植栽し、禅師を慕う縁(よすが)としたい。
方丈より、『柏樹子』を眺めながら、煎茶・抹茶・点心等の禅味を味わうことができる。
作庭にあたり、瑞宝単光章叙勲者荒木勇氏・山本信一氏に格別なるご尽力を賜わる。
2.洲浜の庭
佛日寺の寺紋は洲浜である。
麻田藩の裏紋である。
洲浜は洲が水の中に出入りしている部分のことで、それを、イメージして、柏樹子の庭の御簾垣南側に作庭したのが、洲浜の庭である。
中央、洲浜の部分を那智黒石で配し、本堂側には、菩提樹下に釈尊と摩耶夫人をイメージした石塔の傘部を奉安している。
直方堂側には洲浜をまたぐように石橋を渡して、彼岸と此岸をイメージしている。
彼岸には石の五重の塔を置き、悟りを表現している。
此岸には、ししおどしを置いている。
直方堂からの眺めは、一幅の南画を見るようである。
作庭にあたり、柏樹子の庭と同様、荒木勇氏に心技を頂いた。
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