●麻田藩陣屋


(麻田城・佛日寺関係者は城と称している)



藩主邸玄関・式台(現報恩寺)

陣屋の門(現上西邸)




 麻田藩陣屋跡(麻田城跡)は、豊中市蛍池駅西地区第一種市外地再開発事業に伴い、発掘調査が平成11年11月より行われている。平成12年12月9日、(財)大阪府文化財調査研究センターによる現地説明会が開催された。その時の麻田藩陣屋跡現地説明会資料の一部を(財)大阪府文化財調査研究センターの転載許可を得て、このたび配信し、往時を偲びたい。



麻田藩陣屋絵図(豊中市教育委員会所蔵)





麻田藩陣屋配置図(「日本城郭大系」挿図に加筆)





 石組みをもつT字形の溝である。底が屋敷前の道にむかって低くなっており、屋敷内から外への排水溝とみられる。



落ち込み群

 短い間につぎつぎと掘られては埋められたようである。落ち込みは北から2邸目の屋敷地に広がり、陣屋がなくなった明治時代のはじめ頃、この土地の持ち主が粘土をとるために掘ったものと考えられる。
 


(財)大阪府文化財調査研究センター提供 無断転載不許可