●秋を楽しむ

95.令和7年9月23日(火) 秋季彼岸会の一席
 演題「秋を楽しむ」 住職(服部潤承)


 今日は。早い梅雨明け後、9月になりましても猛暑日が続きまして、残暑お見舞い申し上げます。と言うものの、確実に秋が参っており、小さい秋を見つけることができます。
 作詞家サトウハチロウさんの童謡「小さい秋みつけた」に、・・すましたお耳に かすかにしみた よんでる口笛 もずの声…聴覚を働かせると鳥の鳴き声が聞こえてまいります。…お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク わずかなすきから 秋の風…触覚を働かせるとすきま風を感じます。…むかしの むかしの 風見の鳥の ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色(いりひいろ)…視覚を働かせると紅いはぜの葉の色に目が留まります。
 秋と言えば、「秋の七草」ですが、先ず以前申しました「春の七草」に触れたいと思います。

@芹(せり):鉄分豊富、食欲増進に効果があります。
A薺(なずな):解熱、利尿作用があります。
B御形(ごぎょう):風邪予防、解熱ができます。
C繁縷(はこべら):ビタミンAが豊富で、腹痛に効きます。
D仏の座(ほとけのざ):胃腸を整え、食欲増進ができます。
E菘(すずな):ビタミン類が豊富で、消化を助けます。
F蘿蔔(すずしろ):消化を助け風邪の予防になります。

『春の七草』は七草粥にして、1月7日に食べ万病を祓い長寿を祈願し年末年始で疲れた胃腸を労り不足がちな栄養を補うものであります。
それに対して、「秋の七草」は、『万葉集』の山上憶良の和歌に、
○「秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七草の花」とあり、秋の野に咲いている草花を指折り数えると7種類あります。
○「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花また藤袴 朝貌(あさがお・・桔梗)の花」とあり、野山に咲く美しい花を観賞し季節を感じて慈しむのが秋の七草で、食用ではなく薬草として漢方や生薬(しょうやく)に使われ、目と口を通し癒してきた秋の風物詩です。

@萩(はぎ):秋の彼岸に供える「おはぎ」の名前の由来となり、花言葉は思案・内気・柔軟な精神等です。
A尾花(おばな):動物の尻尾に似ていて、お月見に欠かせないもので、花言葉は活力・生命力・心が通じる等です。
B葛(くず):葛餅・葛切りの原材料で、葛根湯にもなり、花言葉は芯の強さ・活力・治癒・恋の溜息等です。
C撫子(なでしこ):日本女性の清楚さを表し、花言葉は純愛・貞節・無邪気・大胆等です。
D女郎花(おみなえし):美女を圧倒し優雅で美しい花と親しまれ、解熱・解毒・鎮静作用があり、花言葉は美人・はかない恋・親切等です。
E藤袴(ふじばかま):洗髪・香水に使われ、花言葉はためらい・優しい思いで・あの日を思い出す等です。
F桔梗(ききょう):サポニン去痰(きょたん)・鎮咳(ちんがい)作用があり、花言葉は変わらぬ愛・誠実・気品・清楚等です。

 秋と言えば、お月見です。涼しくなるにしたがって空気中の水蒸気が消え空気が透き通り、月は煌々と輝きを増します。
○「一片の月海に生ずれば幾家の人楼に上る」(『仏国録』」)とあり、輝かしい月が昇れば、その美しさに魅了し高見の楼閣に多くの月見の人が集まると言う意味です。
 旧暦の8月15日、今年の中秋(秋の真ん中)の名月は、10月6日に当たり、後の月は旧暦9月13日、今年は11月2日に当たります。
 中秋の名月は「十五夜」「芋名月(里芋の収穫祭)」と呼ばれ、月見の日には団子や餅(12個・閏年は13個)・すすき・里芋等を供えて月を眺めます。日本では、旧暦の8月15日だけでなく旧暦9月13日にも月見を致します。「十三夜」「後の月」「栗名月」と呼ばれ、月見団子・栗・枝豆を供えます。「十三夜」は日本独自の月見で、「十五夜」とセットでいたします。 最後にお彼岸についてお話いたしましょう。
 禅門でよく諷誦する経典に「般若心経」がございます。その一行に[波羅蜜(はらみつ)]が有ります。訳は【到彼岸・彼岸に至る】で、今、いる世界を『此岸(しがん)』と言い、悟り(仏・仏心)の世界を『彼岸(ひがん)』言います。その間には煩悩(ぼんのう・我欲)の川が流れていると言う精神世界です。煩悩の川を渡り、苦しみや悩みにとらわれない(苦にならない・気にならない)生き方を【到彼岸】と言う、本来の意味であります。
 どうすれば煩悩の川を溺れることなく渡ることができるのでしょうか。そこで、私たちに「六波羅密」の実践を示されました。この六つの修行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を通じて、悟り(仏・仏心)に到る道を明かされました。
 しかし、煩悩の川の流れは、激しく荒れ狂っています。橋は流され、船は転覆し、救助隊は手を拱いて見ているだけ、自分で泳いでいくこともできません。CMではありませんが、『さあ、どうする』。
 「濫觴(らんしょう)」と言う孔子の言葉があります。大きな川も源流を辿れば盃を浮かべるほどの小さな流れである。と言うことで、煩悩の川も上流へと遡(さかのぼ)れば一跨(ひとまた)ぎで、【到彼岸】も可能となります。    



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