●夏に思う
91.令和6年8月3日(土) 施餓鬼の一席
演題「夏に思う」 住職(服部潤承)
今日は。猛暑日(気温が35度以上)となって、熱中症警戒アラートが発令されることが多くなりました。確かに、熱中症で救急車の出動が多くなったそうで、入院する人や亡くなる人が続出しています。これも気候変動の現れの一つでありましょう。かつては、30度を超えることは少なく、33度になることは大変珍しいことでした。木陰で涼んでいましたら、居眠りができる心地よさでした。今も使っております井戸ですが、一年中水温が変わりませんので、冬は暖かく夏は冷たく大変重宝いたしました。冷蔵庫の無い時代でしたので、野菜や果物や飲み物を冷やしていただきました。ガラスのコップに井戸水を入れて飲みますとコップに水滴がつきました。冷たさに慣れていないため、頭が痛くなったりもしました。 夕方になりますと、夕涼み、涼しい風がどこからか吹いてまいります。光に誘われて、夏虫がやってまいります。カナブンやカブトムシ、もちろん蚊もやって来ます。蚊取り線香を焚くと、まるで撃たれた飛行機のように次から次と墜落していきます。朝、元気よく満開に咲いていました朝顔が夕方にはすっかりしぼんでいます。自然の景色により、無常「移り変わり」を感じたものです。夏の歳時記、神事と仏事に触れてみましょう。
6月30日、罪穢(つみけがれ)を祓うための儀式、『大祓(おおはらい)』が行われます。「名越大祓(なごしおおはらい)」「水無月大祓(みなつきおおはらい)」ともいい、多くの神社の社頭には茅の輪が設けられ茅の輪くぐりが行われます。茅の輪はもともと、疫病除けのお守りとして、腰や首につけていたのが起源です。
7月7日、七夕の節句は、年に一度の神様の訪れを水辺の機屋(はたや)で待ち、神様とともに聖なる乙女棚機女(たなばたつめ)が一夜を過ごすと言われています。また、ご先祖をお迎えして、一夜を過ごした後に見送るという先祖祀りの一面もあり、七日盆の始まりとも思われます。
旧暦の6月15日頃、夏祭りが行われます。夏は疫病、害虫、風水害等不安の多い季節で、それは悪霊、疫神(やくじん)のためであると考えられていました。これらの悪霊を鎮め、災害を除去するための祭りが行われます。もともとは農村で田植えの後の水神祭など悪霊、疫神を鎮める神事のようであります。
旧暦7月15日を中心にお盆が行われます。お盆はもともと我が国の古来の祖先祭祀で正月と同様、ご先祖の精霊を家にお迎えしてお祭りを行うものです。13日にはお墓に参り、ご先祖の精霊をお迎えし、15日にお見送りするのが日本のお盆行事なのです。盆踊りも本来ご先祖の精霊をお迎えしてお慰めし、見送るものでありました。
そこで、本日はお盆の行事の一つして「お施餓鬼」を致しました。「餓鬼に施す」と書きます。餓鬼道に堕ちたものが飢えから救われるように、施食(せじき)つまり「食を施す」善行(ぜんぎょう)を積むことにあります。
先程の法要の中で「施食功徳殊勝行(スーシコンテシュシンヘン)」と挙げましたように宗門では、施食(せじき)のことを「スーシ」と発音いたします。これは隠元禅師のご在世の明時代の発声で、福建省の発音と思われます。曹洞宗の「せじき」と黄檗宗の「スーシ」は同じものと思います。「スーシ」と言えば、今や世界のグルメと言われています「寿司(すし)」を連想いたします。「寿司」は回転寿司の普及で、一般化し老若男女に親しまれています。
かつては、高級グルメ、なにか特別な時にいただくものでした。お客様への振る舞いになっていたとも思います。酢を使いますので、腐敗を遅らせ、健康食品として膾炙(かいしゃ・多く好まれる)されたものと思います。
「寿司」の語源は、諸説がありますが、宗門のお施餓鬼の「施食(スーシ)」によるのも、一説と考えます。お盆に亡き方を始め生きとし生けるものに食を施し振る舞う徳行を実践したいと思います。
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