●両忘
85.令和4年8月6日(土) 施餓鬼会の一席
演題「両忘」 住職(服部潤承)
今日は。今年もお盆のお施餓鬼を勤めることができました。コロナウイルスが弱毒化したとは言え、第7波が7月の中旬頃から猛威を振るい始め、ピークを迎えようとしていますが、安心はできません。ところで、この3年間、コロナウイルス感染症で亡くなった方が、世界で6,400,000人、日本では32,000人を数えます。丁度お盆ですので、ご冥福をお祈り致したいと思います。近頃、たくさんの方がお参り頂いております。よく質問されるのが、「ここのお寺は、何宗ですか」と。すると、「黄檗宗」とご返答致します。「浄土宗・浄土真宗」や「日蓮宗」が返って来るものと思われていたのでしょう、「それ、何に?」と更に質問されます。そこで、「黄檗宗は日本の伝統仏教13宗の最も新しい宗派です」と付け加えます。
そこで、「黄檗宗」についいて、少しお話し致します。
京都宇治「黄檗山萬福寺」第36代住持の金獅廣威猊下の英断により、明治9年2月4日「黄檗宗」の呱々の声を高らかにあげました。大本山萬福寺の山号が「黄檗山」であります。福清県福州にある祖庭「萬福寺」の山号も「黄檗山」です。臨済宗祖・臨済義玄禅師の師匠の黄檗希運禅師は祖庭「萬福寺」において出家得度して禅の修行をしました。また、祖庭「萬福寺」一帯に黄檗樹(日本名・きはだ)が繁茂していました。来朝の宗祖隠元禅師は京都宇治においても、祖庭に倣い「黄檗山萬福寺」としました。随所に散見する「黄檗」の名をもって、古くて新しい我が国、固有の宗名が誕生しました。
「黄檗宗」と名乗るまでの星霜を見るに、大恩教主釈迦牟尼仏(紀元前463~387・515~485)により大地が耕され、初祖達磨大師(紀元後382~532・440~528)により大地に種が蒔かれ、済家臨済義玄禅師(紀元後~866・~867)により芽を伸ばし葉を茂らせました。宗祖隠元隆g禅師(1592~1673)に至り蕾を膨らませ花を咲かせる江戸時代を経て、日本の夜明け明治維新を迎えます。明治新政府の樹立により新制度のもと、実を結ぶように「黄檗宗」が誕生いたしました。江戸時代に開花し、明治時代に結実した「黄檗宗」は、もちろん隠元禅師を宗祖と致します。隠元禅師は臨済禅の法嗣ですから、宗旨に揺るぎはありません。
「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位(いちむい)の真人(しんにん)有り。常に汝等諸人(なんじらしょにん)の面門(めんもん)より出入りす。未だ証拠せざる者は看(み)よ看(み)よ。」(『臨済録上堂』)口語訳は「この身の肉体に、何の位階もない価値判断のつけようもない真人がいる。それは常にあなた達の目や耳や鼻などの感覚器官から出入りしている。未だはっきり見届けていないものは、しっかりとよく看よ看よ。」で、これを座右の銘としおります。
この一無位の真人の有りようを端的に示しているのが、「黄檗山萬福寺」の大雄宝殿(本堂)の左右に奉安している十八羅漢の中の羅?羅尊者に見ることができます。羅?羅尊者は、実在人物で釈尊の子息です。胸襟を開いて一無位の真人を誇らしげに顕示しています。
「黄檗宗」は臨済禅の正統を留めつつ、俗耳に入り易さを目指し、「唯心の浄土・己身の阿弥陀仏を体得する」と、浄土門の用語を交えた表現が加えられました。口語訳は「阿弥陀仏も極楽浄土も、ともに自己の身心のうちに具有している」と言うのであります。
時恰も令和4年4月3日は、宗祖隠元禅師の350年大遠諱(350回祥忌)を迎えました。その千載一隅に今上天皇126代徳仁(なるひと)陛下より諡(おくりな)大師号「厳統大師」を下賜されました。これまでに宗祖隠元禅師は、後水尾法皇より『大光普照国師』、霊光法皇より『佛慈廣鑑国師』、後桜町上皇より『徑山首出国師』、光格上皇より『覚性円明国師』、大正天皇より『真空大師』、昭和天皇より『華光大師』を下賜され、やんごとなき栄に浴しております。
本日の演題、禅語の『両忘』に入ります。「両忘」は最近まで、達磨大師の言葉と思っておりましたら、宋の時代の儒学者程明道(ていめいどう)の『定性書(ていせいしょ)』の中に出てくる文言「内外両忘するに若(し)かず。両忘すれば則ち澄然無事(ちょうぜんぶじ・心に気にかかることがない)」に由来します。
二項対立・相対的対立・対極・二元論・二者択一の考え方の言葉や事柄を挙げてみましょう。
大小・高低・左右・是非・自他・迷悟・生死・強弱・苦楽・善悪・真偽・美醜・光陰・昼夜・賛成反対・好き嫌い・敵味方・白黒・○×などがあります。
相対的な考え方を忘れ、二次元的な思考を離脱する。相対の両極から離れ、両方を忘れてしまうことが『両忘』で、こだわる心を無くし、執着を離れることを言います。今、世界中で紛争が起きております。ミヤンマーの軍部のクーデター・ロシアのウクライナ侵攻・中国の台湾周辺での軍事演習など、禅語の『両忘』が解決のヒントになればと思います。
法話TOP