●秋月〜コロナ禍の智慧〜
83.令和3年9月23(木) 秋季彼岸会の一席
演題「秋月〜コロナ禍の智慧〜」 住職(服部潤承)
今日は。今回の秋季彼岸会も二部制で厳修いたしております。午前は10時〜・午後は2時〜この本堂でとりおこないます。一堂に会しますと、70人で満席になりますので、密を避けるために35人以内にしております。50%の占有率ですので、感染予防ができていると思います。その上に窓を開放しておりますので、換気は充分できておりますので、ご安心下さい。ところで、今年の『十五夜(中秋の名月---秋の真ん中にに出る月)』は、9月21日(火)〈旧暦の8月15日〉です。この日に、秋の美しい月を観賞し、秋の収穫に感謝いたします。とりわけ、芋類の収穫が多いので、芋名月とも言います。今年の『十三夜』は、10月18日(月)〈旧暦の9月13日〉です。十五夜に次いで美しい月を観賞する日本の風習です。栗や豆の収穫を祝うので、栗名月・豆名月と言います。今年の『十日夜(とおかんや)』は、11月14日(日)〈旧暦の10月10日〉です。稲刈りを終え、田圃の神様を見送る収穫の祭りで、化身の案山子と共に月見をします。月と太陽は、陰と陽。月は、「お陰さま」の心に通じます。お月見をしながら感謝のひとときを持ちたいと思います。
月にまつわる話を致します。「阿倍仲麻呂(701年〜770年)」中国・唐での名前を「朝衡(ちょうこう)と言います。吉備真備(きびのまきび)と共に717年16歳で留学生として遣唐使に同行し、唐の都「長安」に留学、玄宗皇帝に仕え、李白・王維と交際、30年滞在。753年51歳帰国途中、4隻中1隻が遭難します。親友の李白が「明月帰らず、碧海に沈む」と死を悼みました。ところが九死に一生を得たのでしょうか安南(ベトナム)に辿り着きました。
明州(寧波ニンポー)で詠んだ歌が、あの有名な百人一首にあります。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」“広い天空を仰ぎ見ると美しい月が出ている。あの月は故郷の奈良春日の三笠の山に出ている月と同じものだ。”
同じ頃、742年(天宝元年)日本の僧、栄叡と普照が鑑真和上のもとに訪れ、授戒の法式がない日本仏教を救うために、中国僧を日本に派遣してほしいと願い出ます。長屋王(ながやのおおきみ・天武天皇の孫)は袈裟1000丁を遣唐使に託し唐に贈りました。鑑真和上が日本に来たのが754年、長屋王は謀反の罪で自害させられていました。
長屋王の1000丁の袈裟に記した刺繍は、
「山川、域(いき)を異(こと)にすれども、風月、天を同じうす。諸(もろもろ)の仏子に寄せて、共に来縁(らいえん)を結ばん。」
日本と中国は離れていますが、大空の風や月には国境は有りません(同じ風を感じ、同じ月を観ています)。同じ仏教を行じて心がつながっている皆さん、一緒に未来のご縁を結びましょう。
鑑真和上は、この詩を見るや感極まって日本渡航を決意されたといいます。
つい最近も同じ内容の詩を日本青少年育成協会からコロナウイルス発症当初の中国に送っています。日本から中国の日本大使館へ支援物資が贈られました。その物資は日本の様々の企業や団体が寄付したもので、衣料品・マスク・手袋・防護服・防護メガネ・CT検査の設備・体温計・消毒液などにこの詩をつけて贈ったのであります。
今回の新型コロナウイルス感染症変異株の拡大は、仮説ですが、都市化の進展とこれに伴う自然破壊等により、地球の温暖化が進み、「未知のウイルス」の感染が急速に拡大した可能性が有ります。人間がつくった大自然の大きなほころびを少しずつ心ある者が元通りに直していくことができれば、「未知のウイルス」の怒りの矛も元の鞘におさめてくれるかもしれません。
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