●庭前の柏樹子

8.平成15年3月21日(金) 春季彼岸会の一席
 演題「庭前の柏樹子」  住職(服部潤承)


 春のお彼岸ともなりますと、随分暖かくなってまいりました。「暑さ寒さも彼岸まで」ともうします。 丁度、いい塩梅の頃合にお彼岸会が勤められるのは、仏様のしめしあわせと言わざるを得ません。 昨日、戦争が始まりました。 無力な私達は何をしたらよいのでしょうか。 できるのはただ「祈る」だけです。
 今、大阪で春場所が開催されています。 あの連勝を誇った貴乃花関も引退し、他にも大勢の力士が故障を理由に休場中です。
 近頃、力士の怪我が多いのは、ドーピング(筋肉増強剤)のせいだと言われていますが、 少々疑問に思います。古来、相撲は日本の国技であり、伝統のある神事、つまり宗教行事なのであります。 五穀豊穣と天下泰平を天地の八百万神に祈る宗教行事であります。 力士が大地を清め、四股を踏み、力を合わせることが大事な目的であったのが、いつの間にか勝負が大事になってしまたのであります。 いつ頃からか勝敗を決するスポーツになってしまい、勝ち負けにこだわり、そこに重きが置かれるようになったのは悲しいことであります。 相撲という神事は勝ってもいいし、負けてもいいのです。以前、相撲は八百長が多いと言われました。 いや、神事ですから筋書きがあっていいのであります。勝敗にこだわらず、相撲をとることが大事なことであって、 神様からすると、人間界の勝負の狭い見識など、問題ではないのであります。前もって、筋書きがあって、申し合わせが充分できていたからこそ、 怪我も少なかったのであります。
 しかし、相撲がスポーツ化してしまい、本来の目的である神事を忘れられてしまった結果、このような休場力士が続出したのではないかと勝手に思っている今日この頃でございます。
 前書きが随分、長くなりましたが、本日の演題は、「庭前の柏樹子」でございます。 無門関の第37則に、
 趙州因僧問、如何是祖師西来意、州云、庭前柏樹子。 (趙州、因みに僧問ふ、「如何なるか是れ祖師西来の意」。州云く、「庭前の柏樹子」とあります。
 簡単に口語訳しますと、或る修行僧が趙州禅師に尋ねます。 「達磨大師がインドから中国に来られた意義は何でしょうか」。そこで、趙州禅師は、「前の庭に生えている柏樹の木です」。と答えました。
 この「柏樹子」というのは、木の名前で、「子」は置き字で意味を持ちませんので、「柏樹」という木のことです。「柏樹」の別名を「柏槙」といいます。 趙州禅師が住職していた「観音院」の周辺に、たくさん「柏槙」が繁茂していたそうです。 この「柏槙」は、禅寺によく植えられ、香木でもありますので、色々と細工をして使用されます。 丁度、佛日寺にも「柏槙」で作った衝立てや香合があります。 家内の実家は、臨済宗東福寺派の禅寺です。 その裏山に生えていた「柏槙」が枯れてしまい、切り倒して加工したものです。
 話を元に戻しますと、「柏槙」と言うのは、香木の一種でもありますから、お香に、仏具に生まれ変わることができますし、また、常緑樹ですから、一年中青々と繁っていますので、目によく、炭酸同化作用で二酸化炭素を酸素に変え空気を清浄化します、大変役に立つ樹木であります。
 達磨大師が中国に来られた真義はという問いに、趙州禅師が「庭に生えている柏樹の木」と答えた真意がわかってまいります。 俗ぽっく申しますと、「役に立つ」からと言っても宜しいかと存じます、 この世に存在するものは、すべて存在意義があります。 「一切衆生悉有仏性」・「山川草木悉皆成仏」というお釈迦様のお言葉を借りますと、「柏樹」も仏さま、達磨大師も仏さま、寸分違わないものだと言いたいのでありましょう。
 この続きが、「趙州録」に出ています。 修行僧は、「庭前の柏樹子」の意味がわかりません。 そこで、「心の内側と外側とを分けて、心の外側のもので答えないで下さい。」と言います。 すると、趙州禅師は、「私は心の外側の物で答えていない。」と言って、再び「庭前の柏樹子」と答えました。
 しかし、一般の人々は、庭に生えている柏樹は、心の外側の物としか思えないのであります。 それは、内と外というように、二律背反・二分相対の一般的で常識的な見方から来るものであります。
 趙州禅師の言葉は、分別心から発せられた「庭前柏樹子」ではなく、無分別心から発せられた「庭前柏樹子」なのであります。
 私達は、先程の相撲ではありませんが、勝った負けたと二分して、勝てば喜び、負ければ悔しがります。 これは、分別心から来るごく普通の感情ですが、それは、とらわれの心から来るものであります。
 隠元禅師にまつわる「庭前柏樹子」の逸話が妙心寺に伝えられています。
 隠元禅師が中国から来られて、日本の名刹を表敬訪問されました。 その一つが妙心寺であります。 日本臨済宗の最大の大本山妙心寺に参詣されたのです。 隠元禅師は、挨拶のついでに、妙心寺のご開山である関山国師の語録を拝見したいと願われました。 そこで、妙心寺の愚堂禅師が大声で、「ご開山の語録はありませんが、ご開山の『柏樹子の語に賊機有り』と言うお言葉が残っています」。 と即答されたそうです。
 「庭前の柏樹子という言葉には盗賊の心がある」。 つまり、庭前の柏樹子の言葉には、俗世間で手に入れたいとする名利を取り去るような心があると言う意味です。
 それを聞かれた隠元禅師は、慇懃に拝をして妙心寺を後にされたと言うのであります。
 隠元禅師は、当代きっての禅僧です。 妙心寺を乗取りに行かれたわけでもなく、法戦を挑みに行かれたわけでもありません。 ただの表敬訪問に過ぎなかったので、わが宗門ではこのやりとりを記録にとどめなかったものと思います。
 しかし、立場を替えて、妙心寺側からすれば、隠元禅師が妙心寺に表敬訪問されること事態が一大事だったのかもしれませんし、推測の域は出ませんが、 愚堂禅師は、北条時宗が元寇を迎え撃つ心境だったのかもしれません。
 隠元禅師は、それを拙嗟に察しられて、礼を欠くことなく丁寧に三拝して、妙心寺を離れられたものと、 宗門の一人として考えたいものであります。
 春のお彼岸に、「庭前の柏樹子」の真意と宗祖隠元禅師に思いを馳せ、人の接し方・心遣いの大切さ・歩むべき道を学びたいと思うのであります。



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