●お盆を考える
77.令和2年8月1日(土) 施餓鬼会の一席
演題「お盆を考える」 住職(服部潤承)
新型コロナがある地域で猛威を振るっています。大阪は、若いリーダーによって、それなりの成果を上がっていますので、このような形で施餓鬼会を執り行うことができました。開け放しで、多少暑いおもいをさせましたことを、ご了承ください。
今日の演題は「お盆を考える」であります。
お盆は、あの世の人々がお里帰りをし、この世の人と心の交流をします。現実の世界と現実の世界を超えた心の世界が融合した世界を創造します。
ところで、死後の行き先は、お有りでしょうか。また、お決まりでしょうか。死の恐怖・苦悩を和らげる精神基盤は、お有りでしょうか。
私達一人ひとりは、「魂魄」からできています。
お墓は、「魂魄」の「魄・はく」である『遺体・遺骨』を埋葬します。身体のほんの一部がこの世に残り続けます。故人が、確かに生存していたことがわかります。
仏壇は、「魂魄」の「魂・こん」である『こころ・たましい』を奉安します。仏壇の扉を開くと、精神世界が広がります。それは、仏壇は入口にすぎませんが、目に見えぬ、今は亡き先祖の皆様にお会いすることができるところです。さらには、今は亡き方を通じて、清らかな精神世界を知ることができると思います。一般的には、天国・極楽浄土等と呼んでいるところなのです。
現実の世界を「俗世間」と言われますように、日々の生活は、煩わしさに悩まされ、へとへとに疲れきってしまいます。暑い時の少し冷えた水に、生きがえりを感じるような、寒い時のほのかに温かいお茶に、甦りを感じるような精神世界を実現するのが「禅」の一つの役割と考えております。
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