●六根浄・どっこいしよ

76.令和2年3月20日(金) 春季彼岸会の一席
 演題「六根浄・どっこいしよ」 住職(服部潤承)


 ヘブライ語に「ドケッイシュア」と言う言葉があります。意味は「苦しみを終わらせ、救済を待ち望みます。」であります。まさしく世界中の人々の願いであります。「コロナウイルスの感染を終わらせ、感染者の救済を待ち望みます。」と言うところです。
 感染者が旅行などで世界中に分散、行き先でコロナウイルスを撒き散らすことになり、世界同時テロの様相を呈していました。感染者の人数も、死亡者の人数も計り知れないそうであります。これこそ非常事態と言わざるを得ません。1月28日 、武漢に滞留する邦人を迎えにチャーター機を飛ばし救出しました。その時、マスク15000個・手袋50000ペア・防護メガネ8000個などを支援物資として贈ったことで高い評価を受けました。続いて、イトーヨーカドがマスク約100万枚、ツムラが500万円、日本のドラッグストアに中国人がマスクを買いに来ると値引きして販売するなど「困った時はお互いさま」として、大人の対応が注目されていました。
 一方、武漢に500人を超えるパ◯◯の留学生が取り残されているのにも拘わらず、感染が国内に及ぶのを恐れて、パ◯◯政府はチャーター機を派遣しないことに決定したそうです。留学生は、「私たちを見捨てないでほしい。」と訴えています。
 ところで、コロナウイルスの「知っていて損はしない話」を致します。コロナウイルスは「10人いれば10人かかります」「発症していない人も感染源です」「潜伏期間は最長21日、発症していない感染者が動き回ってウイルスを撒き散らします」「潜伏期間が長く、感染力の強いウイルスはかかっても重い症状になりませんが、コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の平均年齢が73歳を上回り、心臓病・腎不全・糖尿病など重い病気を抱えている人が重症化しています」
 次に、コロナウイルスの対処法は、
「気道粘膜に入れないために、@人混みの中に行かないようにします。A咳・くしゃみなど具合の悪い人に近づかないようにします。B手に付いたウイルスが口に入って増殖しないように手洗い・うがい・マスクで感染症対策をします。」
「現在、ワクチンがありません。コロナウイルスをNK(ナチュラルキラー)細胞による自然免疫でやっつけるために、@日頃から免疫力を上げます。(1)体を冷やさないようにします。(2)清潔で住みやすい環境で過ごします。(3)免疫を上げる食品(発酵食品・乳酸菌)を摂取します。(4)水分補給をします。(5)爪揉みをします。(6)複式呼吸をします。」
 手を拱いて、何もしないでいるのは、被害を多くするだけで悪くすれば、死亡するかもしれません。今私達一人ひとりが何ができるのか、何をするのか、何をどうしたらよいのか、自分で自分をしっかり見つめ、考え、行動することができましたら、禅を行じているものとして確かな歩みをしていると言えます。人の命を脅かす安心して日常生活が送れないこの世の中にあってどのように生きて行けばいいのでしょうか。
 一昨年、NHKテレビが『けさのクローズアップ』で取り上げました一枚の写真について紹介いたします。テーマは「長崎投下から74年”焼き場に立つ少年゛をさがして」であります。この少年は誰なのか、74年経った今もわかりません。あの少年を知っている人を探し続けている人がいます。長崎市に住む村岡正則さん(85歳)です。当時小学6年生だった村岡さんは爆心地から1.5キロ離れた自宅で母親と共に被爆しました。やけどを負った母親を支え、命からがら逃げ惑いました。漸く辿り着いた避難先で出会ったのが、幼子(弟)を背負ったあの写真の少年だった言います。
 漸く少年の同級生だった人に会うことができました。男性によると、少年の名前は「あきひろ」君。戦後、母親の実家がある諫早市に引っ越ししました。新たな手掛かりで、市内の小学校を捜し回る中、ある学校に辿り着き、昭和21年の卒業生の中に「あきひろ」と言う名前の子供が見つかったのです。しかし、被爆直後の混乱からか、昭和21年の卒業写真は見つかりませんでした。
 ところで、75年前、原爆投下の長崎で亡くなった幼子(弟)を背負う「焼き場に立つ少年」を撮影したアメリカの従軍カメラマン故ジョー・オダネルさんの妻(日本人、アメリカ在住、坂井貴美子さん、56歳)が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日8月9日に著書が出版されました。『神様のファインダー元米従軍カメラマンの遺産』(いのちのことば社)に掲載されている被爆地の写真「焼き場に立つ少年」は、幼子を火葬するために待つ幼気な少年の姿を「いつまでも忘れてはならないと」と語りかけています。 
 一方、世界中から、この写真の感想が寄せられていました。「あの姿勢が全てを物語っている。辛くとも強くあろうとしている。あの小さなサムライがどれだけの悲しみを背負っているのか。私たちには想像もできない。本当に悲しい。」「日本人は、なんて気高い民族何だろう。あんな小さな子供でさえ、高潔な精神をもつている。」など。
 オダネルさんは、原爆正当化論が強いアメリカで批判に耐え、2007年8月9日に85 歳で亡くなるまで、各地で写真展を開き戦争の悲惨さを訴えました。直立不動で規律正しい姿勢、まるで侍のように凛々しく気丈に振る舞っている少年の写真に涙無しには決して見ることができないのであります。
 本題の「どっこいしよ」に入ります。近頃、高知県のよさこいが全国で踊られています。踊りの最中に「どっこいしよ」「どっこいしよ」と掛け声が入ります。「どっこいしよ」の語源は「ろっこんしょうじょう」と言われています。富士山などの霊山に登る時に、掛け声として「ろっこんしょうじょう」「ろっこんしょうじょう」と合言葉を掛けます。「ろっこん・六根」とは、先ほど唱和いたしました『般若心経』に「眼」「耳」「鼻」「舌」「身」「意」とあります。眼とは視覚・耳とは聴覚・鼻とは臭覚・舌とは味覚・身とは触覚・意とは意識のことであります。この六根が清浄(清らかで汚れの無いこと)でなければ、余計な迷いが生じてまいります。つまり「ろっこんしょうじよ」は祈りの言葉と言うことができます。「不浄を見ない。不浄を聞かない。不浄を嗅がない。不浄を味わわない。不浄に触れない。不浄を思わない。」を短く言うと「ろっこんしょうじょう」となり、更に短く一言で言うと「どっこいしよ」となるのであります。
 最後に、「どっこいしよ」の功徳(恵み)をお話し致します。 眼を清浄にすると、先入観・色眼鏡がなくなり、物事が正しく見えます。 耳を清浄にすると、微妙なところまで、はっきりと捉えて、真意が聞き取れます。 鼻を清浄にすると、様々な香りや色々な臭いをかぎ分けることができます。 舌を清浄にすると、食事のすべてが美味しく感じられ、また、発する言葉が人を感動させます。 身を清浄にすると、清らかな身のために、病気も収まり、美しく健康になります。 意を清浄にすると、清らかな心のために、美しく多くの方が会うことを願うようになります。
 さあ、今から「どっこいしよ」を始めましょう。「どっこいしよ」「どっこいしよ」



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