●春は花 夏はほととぎす
72.平成31年3月21日(木) 春季彼岸会の一席
演題「春は花 夏はほととぎす」 住職(服部潤承)
この度、平成最後の大事業であります「涅槃図平成大修繕」も無事終わり、去る3月3日(日)に涅槃会の後、一般公開することができました。池田市広報誌や読売新聞にも一般公開の記事が掲載され、雨天にも拘わらず大勢の拝観者が来られました。また、その様子を宗教新聞の中外日報が大きく取り上げられております。改めて報告と御礼を申し上げます。
1968年(昭和43年)川端康成69歳の時にノーベル文学賞を受けられました。その時の記念講演のテーマ「美しい日本の私---その序説---」の最初に「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」と曹洞宗の道元禅師が「本来の面目」と言う詞書きで詠われました日本人の心について語られました。日本の美しい四季の代表的風物を詠んでいますが、その美しい自然の中にあって、私たちはその優しさに包まれ、活かされ、生きているのであります。「美しい日本と私」とはしなかったところが素晴らしいと思います。「と」にすると、自然と人間は対等の関係であると思い込み、自然の一部であります人間が自然に優位にあるような錯覚に陥ります。ノーベル賞作家川端康成でさえ、日本とは対等ではありません。川端康成は大自然の美しい日本に育まれ・培われてきたので、「美しい日本の私」と「の」の所有格で表したと思うのであります。
ところで、私たちは美しい日本に活かされているはずなのに、虐待・いじめ・詐欺のニュースが何と多いことでしょうか。人間の貪欲さと傲慢さがそのまま表れている現象のように思います。人間の持つ良くない一面がまともに表れています。ところが別の一面も生れつき人間は持ち合わせています。それは、自然に育まれ培われた優しさです。そこで、「ちょっといい話」を3話ご紹介いたします。
第1話「天国から届いたランドセル」
幼くして父親を亡くした女の子が小学校に入学する頃のことでした。
周りの子はみんな親から買ってもらった赤いランドセルを背負って通学していました。しかし、その子の家庭は幼くして父親を亡くし母子家庭でしたからランドセルを買ってもらえるほどの余裕がなかったそうです。
もちろん、家に余裕の無いことがわかっていたその子は、ランドセルがほしくても母親にねだることはしません。子どもながらに、それはお母さんを困らせてしまうことだと、わかっていたからです。
しかし、毎日友達と通学していると、どうしても自分もあの赤いランドセルがほしくて、ほしくてたまらなくなります。通学路にあるお店のショーウインドーに飾ってある、新品でピカピカの赤いランドセルをいつも眺めていたそうです。
ある時、彼女は考えました。「お母さんに迷惑をかけるわけにはいかない。でも、私もあの赤いランドセルがほしい-----そうだお父さんにお願いしてみよう。きっとお父さんなら私の願いを叶えてくれるにちがいない。」そう思った彼女は、天国にいるお父さんに手紙を書くことにしました。
まだ習いたてのひらがなで一生懸命にお父さん宛てにハガキを書きました。「天国のお父さんへ。私は、今年小学生になりました。勉強も頑張っています。いっぱい頑張ってお母さんを助けようと思います。だから、お父さんにお願いがあります。私に、赤いランドセルを下さい。いっぱい、いっぱい勉強して、頑張るから。いい子にしているから。お願いします。」もちろん、天国へのハガキです。宛名は『天国のお父さんへ』と書いてポストに投函したそうです。
そのハガキを集配した、郵便局の職員の方がハガキを見つけます。宛名は天国。ハガキの裏には、幼い彼女が一生懸命に書いたあの文章。いつものように、受取人住所不明で送り返すわけにも行かず、このハガキを手に取った職員がどうしたらいいだろうと、仲間の職員の方に相談したそうです。
そして、郵便局の職員の皆さんでちょっとずつお金を出し合い真っ赤なピカピカのランドセルを買うことにしました。そのランドセルを小包に入れて、その郵便局の中で一番、字の上手い人が代表してお父さんのメッセージを書いてその子の家に送ったそうです。
数年後、女の子はこの話を作文に書き、全国コンクールで入賞したそうです。
第2話「クラス全員が丸坊主」
中学生の弟が学校帰りに、床屋で丸刈りにしてきました。失恋でもしたのかと聞いたら、「小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ」と言います。 彼女は今まで病気で入院しており薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまった。「女子が丸坊主じゃ恥ずかしと言っていたし、だったら他にも丸坊主がおればいいかなと思って野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部でない丸坊主がいた方がいい」と弟は言っていた。
翌日、丸坊主で登校した。弟は帰宅するなり、「同じ奴が一杯いた----」と。なんでも優等生から茶髪問題児を含むクラスの男子全員が丸坊主か、それに近い頭になっており、病気の子と仲が良い女子達までベリーショート、女の子の一人は、完全な丸坊主になっていたらしい。更に担任の男性まで丸坊主。丸坊主だらけの教室で病気あがりの子は爆笑しながら、「ありがとう、ありがとう」と泣いたという。
示し合わせたわけでもないのに、全員同じことを考える弟のクラスに感動しました。
第3話「人前で息子をピンタした母親」
昨日、近くのショッピングモールで、赤ちゃんを抱っこして、5歳くらいの男の子を連れたお母さんを見ました。男の子は、くずって、お母さんは鬼の形相でものすごい剣幕で男の子を叱り、ほらっ!いくよっ!といって腕を引っ張りますが、男の子はギャン泣きで動こうとしない。それこそモール中に響きわたるすごい泣き声。お母さんは興奮して、いい加減にしなさい!と言って、思わず男の子の頬っぺたを平手打ち。ぱちん!!それを見ていた私も思わずビクッとしました。
いやだー、子供がかわいそうー、虐待じゃないの、通報するうーと言うヒソヒソと声がまわりからも上がります。私はお母さんがどうするのかなーとみていたら、そこへ、一人のご年配のおばさんがやってきて、まあまあ、お母さんたいへんやねーと言って声を掛けた。てっきり、子供になんてことをするの!やめなさい!と言って止めさせるのかと思いきや、こんな言葉をお母さんに懸けた。
お母さんも本当にたいへんやねー。赤ちゃん生まれてから、ちゃんと寝てないのでしょ?そりゃイライラもするわねー。男の子に向かって、僕!僕も頑張った。頑張ったねー。よく泣いたね。偉い、偉い!きっと赤ちゃんが生まれてから、お兄ちゃんだから我慢しなさいといわれて、ずっとがんばっていたのね。「お母さんも僕も二人とも偉い、偉い!」と言って、僕とお母さんの頭を撫でて、その場を去った。
お母さんは男の子を抱きしめ、その子以上に泣き崩れた。ショッピングモールの通路の真ん中でお母さんは、わんわん泣いていた。誰かがそっとお母さんにティッシュをさしだした。私は何もできなかった。その間、時間にしてほんの3、4分のこと。私は何もできなかった。お母さんに声を掛けることも。男の子に声を掛けることも。ティッシュを差し出すことも。
そして、おばさん、すごいなぁ!と軽く嫉妬した。(いや、かなり嫉妬した!)私たちは、その場だけをみて判断してしまう。子どもを殴るなんて、酷い母親だ。幼い我が子を人前で殴るなんて最低の母親だ。虐待や幼い命が危険にあって、騒がれている昨今なので、なおのこと。しかし、母親のあなたなら、一度は経験ないだろうか。赤ちゃんがうまれて、ものすごく大変でやっとのことで買い物にきて、フラフラになっているところに上の子はぐずって困らせる。一刻も早く帰りたいし、人前で騒がれて、きまりが悪い。思わずイラッとなって怒鳴ってしまう。
挙句の果てには、虐待とか酷い母親とかで責められる。お母さん、泣きたかっただろうね。こういう場面を見るたびに、何があっても暴力を振るうことは絶対許されることではない!と言う方もいるが、子供と一緒に声をあげて泣いているお母さんをみたら、如何に子育てが大変か、少しは解ってあげられるかもしれない。このお母さんは、人前で泣けるからまだよかった。きっと泣けないお母さんがたくさんいるだろう。どうしていいかわからず、思わず子供に手を上げてしまい、夜、寝顔を見ながら、ひとりで誰にも知られず心を痛め、罪悪感に押しつぶされそうなお母さんが居るに違いありません。
あのおばさんみたいに、さらっと力を貸せる人になりたいと思います。
この三つの話から、川端康成の言う「美しい日本のわたし」美しい日本に育てられていることに気づくことができますし、「春は花が咲き、夏はほととぎすが囀る」思慮を離れた当たり前の自然の美しい現象がそのままわたしに備わっていることに気づくのであります。
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