●ゆっくりと―且緩々<しゃかんかん>―

67.平成29年9月23日(土) 秋季彼岸会の一席
 演題「ゆっくりと―且緩々<しゃかんかん>―」 住職(服部潤承)


 秋のお彼岸がやってまいりました。春のお彼岸に比べて、秋のお彼岸は何となくもの寂しさを感じます。木々の緑は薄黄色を帯びてまいりました。吹く風は涼しさより肌寒さを感じさせます。日照時間も日毎に短くなり、日暮れが早くなってまいりました。虫の音も夏から秋に替わり哀愁を帯びてまいりました。それにともない夏の慌ただしさから落ち着きを取り戻してまいりました。
 さて、先頃、北朝鮮から発射したミサイルが北海道の襟裳岬上空を通過し、太平洋上に落下しました。地域や関係者は大童<おおわらわ>でした。また、9月に入って、北朝鮮の自国で第六回目の地下核実験をして、マグニチュード6.1の地震と同じぐらいの振動があったようであります。放射能の人体への影響が心配されます。また、上空で核爆発の実験が強行されますと電磁パルスが飛び散り、人体はもちろん、電子機器にも悪影響を及ぼし、世界中に思わぬ混乱を来たすそうです。
 政府・防衛庁は何らかの対策を考えているとは存じますが、迎撃して戦争状態になるようなことをできうる限り避けて、優秀な日本の科学者・技術者により、目に見えない強固なバリアを日本全土に覆いかぶせて、電磁パルスや核爆弾搭載のミサイルが飛んできても跳ね返すようなものを考えてみてはどうでしょうか。これは全くの素人考えですので、失笑は承知の上での話しであります。

 今日の法話の演題は、「且緩々」で、『雲門公録』にある禅語であります。

 「まぁ、ゆるりとやりなさい。」勇み立つ修行者に対して、「急がずにゆっくりなさい。」と緊張した気分を緩める言葉であります。いきりたって高い境地の呈示を急ぐのは心が動いている証拠。これをたしなめて、「自然体でいけ。」という言葉であります。五家七宗の雲門宗の雲門文偃<うんもんぶんえん>禅師がしばしば用いたことでも知られています。黄檗宗では禅問答のはじめによく使う言葉であります。後世では、「お手柔らかに。」の意で用いられる場合もあります。

 「落ち着きなさい」「慌てず」「焦らず」「ゆっくり」と。スペイン語には「POCO A POCO<ポコアポコ>」という言葉があり、「少しずつ」「一歩ずつ」「ゆっくり・ゆっくり」という意味に使っているようです。そういえば、喫茶店やカフェテラス・レストランの名前によく使われています。

 ところで、頓智で有名な禅僧に「一休さん」がいます。一休さんの名前の由来は、

「有露地<うろじ・この世>より無露地<むろじ・あの世>に帰る 一休み 風吹けば吹け 雨降れば降れ」

の『一休み』から「一休」という道号が名付けられました。“人生はこの世からあの世に帰って行く途中の休み時間。風が吹こうと、雨が降ろうと気にせぬ。”と一休さんの心境が語られています。この一休さんが87歳の亡くなる時に弟子たちに「今後、困ったときはこの手紙を開けて見よ。」と手紙を渡しました。その手紙の文言が、「心配するな。大丈夫。何とかなる。」でありました。正しく「且緩々」であります。

 太田道灌の和歌に

「急がずば 濡れざらましを 旅人の 後より晴るる 野路の村雨」

であります。口語訳は“もしも急がなければ、濡れなかったのに、旅人が通った後から晴れていく野道の俄か雨であるよ”と言う意味で、急いだばかりに「ずぶ濡れになった旅人が、皮肉にも、後から晴れていく 俄か雨の景観」は「急いでは事を仕損じる」の教訓をうたったものであります。
 そう言えば、この8月末、奈良県高取町にあります光雲寺にお参り致しました。書院に上がらせて頂き歓談していると、俄かに曇ってまいりました。早く車に乗らないと、びしょ濡れになりそうでしたので急いで話もそこそこにお暇いたしました。案の状、雨は降りだしました。傘は有りましたが、雨に降られながら車にたどり着きました。暫くしますと雨はやみ、晴れてきました。折角、大勢でお参りいたしましたのに、残念なことでした。「且緩々」を実感いたしました。



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