●猿地藏

66.平成29年8月22日(火) 地蔵盆の一席
 演題「猿地藏」 住職(服部潤承)


  地蔵盆が今年もやって参りました。このお地藏様が建立されたのが昭和57年、36年目を迎えます。この伝統は先代から引き継いだもので、元々はあの窟門の横にあります小さなお地藏様に当時の子供会の児童がたくさん集まり地藏盆を営みましたのが始めです。
 ところで、国民の97%が「私は幸せ」と答える世界で一番幸福な国と言われている仏教国『ブータン』が大切にしているのは「経済的な豊かさではなく、精神的な豊かさ」を重んじていることです。
 また、大阪大学の大竹文雄教授によると、「子供の頃に神社仏閣の近くで育った人は、そうでない人に比べて幸福度や利他の心(おもてなしの心)が高い」という興味深い調査結果が報告されています。地域におけるお寺の存在も満更ではないものと思う今日この頃であります。
 地藏盆に因んで小さいお子様もいらっしゃいますので、昔話『猿地藏』のお話しをいたします。
 昔、昔。或る山の中に、とても貧しい村がありました。村人たちは、山の畑で「そば」や「粟」を作って暮らしていました。
 村に住む働き者のお爺さんの「そば畑」が、ここ最近、猿たちに荒らされるようになりました。困ったお爺さんは、「そば粉」を体中に塗って畑の傍に座り、お地藏様のふりをして猿たちを捕まえることにしました。
 次の日、お爺さんがお地藏様のふりをして座っていると猿たちが現れました。猿たちはお爺さんを本物のお地藏様だと思い込み、お爺さんを担いで山のお堂に運び始めました。お爺さんがお地藏様のふりを続けていると、猿たちは陽気に歌いながら川を渡りました。
 ------お猿のお尻は濡らしても、お地藏様のお尻は濡らさぬは。-----
 お爺さんはこの歌がおかしくて笑いだしそうになりましたが、必死でこらえました。やがて猿たちはお爺さんのお地藏様をお堂に運ぶと、小判のお賽銭を投げ込んで拝み、あっという間にいなくなってしまいました。
 日が暮れる頃、お爺さんは小判を持って帰り、今日あったことをお婆さんに聞かせました。
 そうして、ちょうど訪ねてきた隣の欲張りなお婆さんにも同じ話を聞かせました。それを聞いた欲張りなお婆さんは、欲張りなお爺さんに、さっき聞いた話を真似させて、小判を手に入れようと考えました。
 翌日、欲張りなお爺さんは、「そば粉」をかぶり、お地藏様のふりをして山の畑に座りました。そこへ猿たちが現れ、昨日と同じように欲張りのお爺さんを山のお堂へ運びました。ところが、欲張りなお爺さんは、川を渡るときの猿たちの歌を聞いて大声で笑ってしまいました。
 ------お猿のお尻は濡らしても、お地蔵様のお尻は濡らさぬは。------
 お地藏様が偽物だと分かった猿たちは、怒って川の中に放り出してしまいました。日が暮れる頃、欲張り爺さんは家に帰ってきました。小判をいっぱい持って帰って来るものと思っていた欲張りなお婆さんが見たのは、何も持たずに泣きながら帰ってきた欲張りなお爺さんの姿でした。欲をかくのもほどほどにしておかなければなりませんし、「棚から牡丹餅」のような話は度々起こるものではありません。



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