●不是心佛

49.平成25年8月3日(土) 施餓鬼会の一席
 演題「不是心佛」  住職(服部潤承)

 
 お盆の季節になりました。今日は、お施餓鬼の法要を、皆さま一堂に会して盛会裏に勤めることができました。有り難く感謝に堪えません。
 32年前、この本堂でお施餓鬼の法要を勤めましところ、僅か16名の参会者でありましたのが、この間のように思い出されます。ところが、今や四倍近くの参会者をお迎えしてのお施餓鬼の法要に、長時間にもかかわりませず、最後までおつきあいを賜りまして篤く御礼申し上げます。
 せっかくお参りくださいましたので、少しばかり法話をさせていただこうと思います。今年の梅雨入りは随分早かったようです。梅雨入り宣言がなされてから、しばらく晴天が続きました。雨量が少なくて心配されましたが、例年の梅雨時分になりましたら、雨が降り続き一安心いたしました。また、梅雨明けも早く、梅雨明け宣言した後に、梅雨のような雨が降り続いたり、ところによっては、豪雨になったり、落雷があったりして被害が出ました。それを戻り梅雨と言う言葉で表現していましたが、本当のところは、まだ梅雨明けしていなかったのかもしれませんでした。そう言えば、天気図では、梅雨前線が日本列島に横たわっていました。やはり、何事も自分の目や耳でしっかり確かめる必要があります。
 夏と言えば、冷えたビールです。昭和27年の週刊朝日に七五調の歌が載っています。 ゛ビールをぐっと 飲み干せば 青いロマンス 胸に燃え 歌声やわし 霧濡れて 幸夢叶へ 夜更け空゛
 47文字に「ん」を加えた48文字をすべて一度だけ使って詠まれている昭和の「いろは歌」であります。
 昭和40年代はじめに、週刊読売が募集した優秀作品に、
゛名も不易 奥の細道 馬と絵師 座寄せ 和す囲炉裏 旅に病んで 眠らぬを あはれ何処へ 夢駈ける゛(塚本春雄)
 五七調で、芭蕉の辞世の句「旅にやみ 夢は枯野を かけめぐる」を詠み込んだ「いろは歌」であります。
 明治に溯ると「とりな歌」と言われる「いろは歌」があります。
゛鳥啼くこゑす 夢覚ませ 見よ明け渡る ひんがしを 空色映えて 沖つべに 帆船群れ居ぬ 靄の中゛(坂本百次郎) 
 明治38年「万朝報」懸賞募集第一席の作で、「ん」を読み込んだ48字の歌であります。  なんと言っても、「いろは歌」の大御所は、
゛色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず(ん)゛(字母歌)
 口語訳をしますと、
花は咲いても散ってしまう。
そんな世の中にずっと同じ姿で存在し続けるものなどありえない。
「人生」という険しい山道を今日もまた一つ越えて、
はかない夢を見たり、はかない夢に酔ったりもしない。
 この「いろは歌」は、新義真言宗の祖、覚鑁によると、「涅槃経」の「無常偈」を表していると言っています。
 香りよく色美しく咲き誇っている花もやがては散ってしまう。これを、「諸行無常」といいます。
 この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。これを、「是生滅法」と言います。
 無常の険しい生と滅の山を、今、乗り越えて行く。これを、「生滅滅巳」と言います。
 悟りの世界に至れば、儚い夢を見たり、仮の世界に酔いしれたりすることもなく、安楽を得る。これを、「寂滅為楽」と言います。
 また、「いろは歌」には、暗号がかくされていると言われています。7字ずつ区切って、各行の最後の文字をつなげ縦に読むと、「とがなくてしす」と読めます。「とが」とは、「罪」と言う意味ですから、「罪がなくて死する」と言う意味が隠されているそうであります。一体、誰のことでしょうか。一説には、イエス・キリストや赤穂浪士四十七士とも言われていますが、無念の最期を遂げたすべての衆生を指しているように思います。
 無念の最期と言えば、8月は終戦を迎えた月であります。鎌倉の高徳院をご存知でしょうか。鎌倉大仏で有名なお寺です。その高徳院に顕彰碑があります。
 この石碑は、1951年(昭和26年)9月に、サンフランシスコ対日講和会議でスリランカ共和国(昔のセイロン)のジュニアス・リチャード・ジャヤワルデネ大統領が演説され、それを称えて建てられたものです。大統領は演説で、ブッダの言葉を引用されました。
゛実にこの世に置いては、恨みに報いるに恨みを以てしたならば、ついに恨みの息むことがない。恨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。゛(ダンマパダ第一章5)
そして、スリランカ国は、賠償請求を放棄することを宣言されました。
 さらには、「アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本が必要」と強調して、一部の国が主張した日本分割案を真っ向から反対して、これを退けたのであります。
 この演説で日本国民は、大いに励まされ、勇気づけられ、今日の平和と繁栄に連なる戦後復興の第一歩を踏み出しました。
 お釈迦さまの教えを実践している国からの大いなる恩恵を日本は受けて、今日があります。その逆の今、国際的に問題になっている国家間の緊張は、「恨みを捨ててこそ息む」に尽きるものと思います。
 さて、本日のテーマであります「不是心佛」に入りたいと思います。
「無門関 第27則」
南泉和尚、因みに僧問うて云く、
 「還って人の与めに説かざる底の法ありや。」
泉云く、
 「有り。」
僧云く、
 「如何なるか是れ人の与めに説かざる底の法。」
泉云く、
 「不是心、不是佛、不是物。」
 口語訳をしますと、
南泉和尚に修行僧が訪ねて言うことには、
 「今まで、人に説かれたことのない法がありますか。」と。
すると、南泉和尚が言うことには、
 「有る。」と。
そこで、修行僧が言うことには、
 「では、人に説かれたことのない法とは、どう言うものでしょうか。」と。
南泉和尚が言うことには、
「心でもなく、仏でもなく、物でもない。」と。
 言葉を用いながらも、言葉にとらわれてはなりません。言葉を駆使しながらでも、言葉がそのまま実在であると思ってはなりません。言葉は暗示をしているだけで、符号にすぎないのであります。
 言葉で説明した途端に、それは頭の中で組み立てられた考えになってしまい、真理から遠離かってしまいます。その頭の中で組み立てられた考えが、分別妄想の実体そのものなのであります。
 言葉で説明された心も、言葉で説明された仏も、言葉で説明された物も、そのものを表しているものとは言えません。それは言葉と言う装いに変質したものに過ぎないのであります。
 お釈迦さまは、45年間対機説法をしてこられました。八万四千の法門が今も残っていますし、たくさんの経典残っています。ところが、お釈迦さまは、「我一字不説」と仰っています。
 突き詰めれば、「師の求めたあとを求めず、師の求めたところを求めよ」と言うことでありましょう。
 



法話TOP