16.平成17年3月20日(日) 春季彼岸会の一席
演題「麻三斤」 住職(服部潤承) | |
春うららかでありますが、例年になく花粉が飛散し、出にくいのにもかかわらず、彼岸会にお参り下さいまして厚くお礼申し上げます。
昨年の年末の12月26日には、スマトラ島沖で大地震が発生、それにより津波が押し寄せ、その周辺の国々の人々がたくさん亡くなりました。
改めまして、ご冥福をお祈りいたします。
ところで、津波という言葉が、現地でも使われていましたが、お気づきになりましたでしょうか。
日本語の津波が、世界共通語になっております。
他にも、「もったいない」・「侍」・「空手」・「禅」等が世界共通語であります。
つまり、世界に認知されているものです。
佛日寺の宗旨は、禅宗ですから、世界に冠たるグローバルなものと誇りを持っていただきたいのであります。
毎日、朝5時半に起床し、見繕いをして、6時よりこの本堂で、朝のお勤めをいたします。
6時半から山門の前の掃き掃除をして、6時50分には、庫裡に戻ります。
すぐに、天気予報を見るために、テレビをつけます。
最近は、天気予報のついでに、今日の運勢も見るようになりました。
そこで、気づいたことがあります。
6時50分から10分の間に、3つのテレビ局が今日の星占いを放送しています。
3月11日(金)の星占いは、次の通りでした。
6チャンネル朝日テレビでは、最も良いのがしし座の人・最も悪いのがおうし座の人でした。
10チャンネル読売テレビでは、最も良いのがうお座の人・最も悪いのがおひつじ座の人でした。
8チャンネル関西テレビでは、最も良いのがかに座の人・最も悪いのがふたご座の人でした。
こう見ますと、同じ星占いにもかかわらず、各局で内容が違うことに気づいたのであります。
もちろん、各局で占い師が違うのですから、占いの結果も多少違いも出ると予想されましたが、こんなにも違いが出るものとは思いませんでした。
「あたるも八卦、あたらぬも八卦」ということわざがあります。
自分にとって都合の良い内容であれば、今日一日を有頂天にならないように、注意を怠らず、全力を傾けようと心掛けるのがよろしいかと思います。
その反対に、自分にとって不都合な内容であれば、今日一日を細心の注意を払い、慎重を期することに専念するのがよろしいかと思います。
占いの内容を、どう受けとめるかが大切であります。
禅は、融通無碍ですから、「分別をしない」「こだわらない」「とらわれない」事がよき処し方のように思います。
江戸時代の良寛さんが、「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。云々、これ災難を逃がるる妙法にて候。」とおっしゃっています。
昨年は、台風・大雨・地震と自然災害が相次ぎました。
占いがあたったかどうかはわかりませんが、私々は無常の世に生きているのですから、何が起きても不思議でないと心得ておく必要がありましょう。
さて、本日の演題の「麻三斤」に入ります。
碧巌録十二則に次のような一件があります。
挙す。僧、洞山に問う。
如何なるか是れ仏。
山云わく、麻三斤。
ある修行僧が洞山守初禅師に質問しました。
「仏とは、どういうものでしょうか。」と。
洞山禅師は、即座に、「麻三斤」と答えました。
洞山守初禅師は、西暦910年から990年の中国の禅僧で、江西省、襄州に住していました。
この地は、麻の産地であり、丁度、僧衣を作るために麻の必要量を量っていました。
僧衣を作るための麻の必要量は、三斤です。
1斤が600グラムですから、3斤で1800グラムであります。
修行僧が「如何なるか是れ仏」と尋ねますと、洞山禅師は、今、一番必要なもの、つまり、今、僧衣を作ろうとしているのですから、僧衣に必要な量、「麻三斤」と答えただけなのであります。
あらゆるものが、仏さまであることは、以前から申し上げてまいりました。
虫も草も木も人も、この世に存在するすべてのものが、なくてはならないものですから、仏さまであります。
したがって、何もかも大切にしなければならないのであります。
皆仏さまでありますが、今ここに一番必要なもの、それは洞山禅師にとって「麻三斤」であったのであります。
きっと、修行僧は、洞山禅師からすばらしい答えが返ってくるものと思っていたことでしょう。
仏さまと言えば、立派で、偉大で気高い存在であると思ってしまいます。
これは、ごくあたりまえの世間の見方であり、至極当然の思いであります。
世間の見方を別の見方に変え、当然という思いを別の思いに変えるのが、「麻三斤」の意味でありましょう。
最後に、昨年10月から庫裡の建て増し工事を開始し、先頃無事完了いたしました。
つきましては、皆さまの心温まるご法情・ご理解・ご協力の賜と喜んでおります。
高いところからですが、厚くお礼申し上げます。
この建物の名称を「直方堂」といたしました。
直方堂は、旧麻田藩の藩校名であります。
寛政元年(1789年)、麻田藩主10代目青木一貞公によって、麻田藩領内に藩校として、建てられました。
直方堂は、直伝方正の略で、正しい行いを師から子弟に直接伝え授ける学舎の意味であります。
寛政年間では、吉川幾右衛門によって、経学(四書五経)を教授されました。
天保年間になりますと、山口太四郎によって、国漢・算術・礼法等を教授されました。
授業は午前中に行われ、学徒は8歳から15歳までで、通学生は50人、寄宿生は10人余りでした。
主に藩士の教育をしていましたが、一般生の入学も認めたようであります。
藩校の経費は、米100石と銀250匁で運営していました。
佛日寺は、麻田藩主の菩提寺でありますので、麻田藩にゆかりのある藩校「直方堂」の名を使うことにいたしました。
また、「直方堂」という新しい額は、麻田藩家老職にありました阿澄家のご子孫であります阿澄昌夫様より寄贈していただきましたので、ご報告致します。
直方堂は、茶室にもなっておりますし、庭園も手直しいたしましたので、皆さんには、ご休憩等にご利用いただければ、幸いでございます。
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