14.平成16年8月22日(日) 地蔵盆の一席
演題「小さな命」 住職(服部潤承) | |
地蔵盆にちなんで、朝日新聞から「小さな命」について考えてみたいと思います。
7月20日の記事に、"中絶胎児一般ごみ扱い"とあります。
それは、横浜市内の産婦人科クリニックで妊娠12週以上の中絶胎児を一般ごみとして捨てていたことがわかりました。
法律で火葬・埋葬することになっていますが、一般ごみに紛れ込ませるために、ミンチ肉のように胎児を細く切っていたといいます。
人工妊娠中絶は、母体保護法に基づく通知で、22週未満であれば罪に問われません。
一方、人の姿をした妊娠12週以上の胎児は、墓地埋葬法で「死体」として扱い、火葬・埋葬することになっております。
そして、人間の姿をした胎児を切断したら死体損壊罪、捨てれば死体遺棄罪になるとの判例があります。
また、廃棄物処理法は、中絶胎児や胎盤などは、血液や体液を含んだ脱脂綿・注射針・臓器などと同じく「感染廃棄物」として扱うように定めています。
厚生労働省によりますと、国内の人工妊娠中絶は年間30万件を超えているとか。(言われています。)
妊娠12週以上の中絶胎児は墓地埋葬法で火葬・埋葬することになっていますが、実際のところはどうなのか。(わかりません。)
「死体」とはみなされない12週未満となると、「医療的な廃棄物」としますが、環境省は、「倫理上の考え方もあり、直ちにごみとは言えない」と言っているようです。
また、12週に1日足りないだけで、「ひと」が「ごみ」になるのはおかしいのではないでしょうか。
胎児の尊厳にも配慮しなければならないと言う声が上がっています。
さらには、生命倫理専門調査会は、「受精卵について、ひとの生命の萌芽」とし、中絶胎児は、「ひと」に近いのに、実際には「ひと」の扱いを受けていないと、報告しています。
妊娠12週を超えようと、超えまいと、母体での10ヶ月を1歳とする限り、「ひと」としての扱いが必要であります。
ましてや、ごみ扱いは言語道断であります。
また、妊娠12週以上の中絶胎児は火葬・埋葬することになっておりますが、12週未満の中絶胎児も感染性廃棄物としての処理でなく、火葬・埋葬が必要ではないかと思います。
いずれにいたしましても、親の身勝手で簡単に人工妊娠中絶が行われない社会の実現こそが胎児の尊厳にもつながって行くように思います。
次に、1月11日の紙面に、"いのちの語り"の記事があります。
それは、インフルエンザ脳症で1歳の娘さんを失った大阪市淀川区の主婦坂下裕子さん(42歳)の話であります。
1992年2月に長女あゆみちゃんを風邪と診断を受けたものの、症状が悪化して夜間の小児救急は受け入れ先が限られ、盥回しの結果、救急車で4時間半もかかってしまい、診療が間に合わなかったのであります。
坂下さんは、親として子供を守ってやれなかった後悔で落ち込んでしまいます。
たった1つ、あゆみちゃんに会えるかもしれないと思ったのは、次の赤ちゃんを産むことだと思ったそうです。
そこで、不妊治療を始めます。
不幸は続くもので、その不妊治療中に、子宮ガンにかかっていることを知ります。
普通でしたら、精神的ショックを受けるのでありますが、「これで、あゆみに会える・死んでもいいからあゆみに会いたい。」と思いました。
その瞬間、長男(あゆみの兄)の顔が浮かび、いま小学5年生の長男を残して死ぬわけにはいかないと思ったそうです。
そして、子宮ガン摘出手術が始まる時、「いやだ、もう一人、赤ちゃんを生んでから」と呼びました。
マスクごしに、医師が言います。
「あなたが生きることを考えましょう。」と。医師は、ガンともども子宮を摘出しました。
リハビリを続けながら、子供を失った母の悲しみと、子宮を摘出した母の悲しみを通じて、人々にいのちについて語りかけます。
「時間は巻き戻せない。
今を生き抜いた先にしかあゆみはいないんじゃないか。
退院し自分で家事ができることを幸せに感じる。」と切々と話します。
昨年の10月、箕面市立豊川北小学校6年生の80人に語ったその時の感想があります。
「自分が死んでしまったときのお母さんに置き換えてみると、とても悲しくなりました。」
「いのちってなくなっても思われ続けているんだなあ」
「いのちは自分のものであり、そのまわりの人のでもあると思った。」などの率直で、鋭い思いが寄せられたそうであります。
お地蔵さまの地は、いのちの「ち」でもあります。
いのちの蔵でありますお地蔵さまは、いのちを育み、いのちを培う菩薩さまであります。
不幸にして、早くいのちを失ったすべてのものを、再び蘇らせ、新たな生命誕生へと導くのがお地蔵まさと言えましょう。
年に1度の地蔵盆に、いのちについて考えることができましたら、なによりであります。
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