10.平成15年8月22日(土) 地蔵盆の一席 演題「南無地蔵菩薩」 住職(服部潤承) | |
「風を見よ」と言う問掛けがあります。実際に目で風を見ることはできません。
木の枝が揺れているとか、紙くずが飛んでいるとかと言うことで、風の吹いている事がわかりますが、実際に風を見ることはできないのであります。
旗がはためいているのは風のためですが、旗は風ではありません。
煙突から出る煙も風のないときは、上の方に立ち昇りますが、風のある時は、横へ棚引きます。
しかし、見えるのは、煙であって風が見えるのではありません。
このように、風があるのに目で見ることはできないのであります。
この風のように、確かにあるのに、目で見ることができないものがあります。
ヨーロッパの家々には、風見鶏が屋根高くそびえております。
風見鶏は、風の吹く方角へ向きをかえていきます。
この風見鶏は、風の吹く方向を知るためのものだけではないそうです。
目で見ることができないものに気付かせる方法として、子供の宗教教育を兼ね備えているそうです。
目に見えないものが、風見鶏を動かしているように、この世には、目に見えない偉大なものがたくさんあることを、子供に教えているそうです。
さて、白隠禅師は、坐禅和讃で、「念仏・懺悔・修行等其品多き諸善行」とおっしゃっています。
その中の念仏について、考えてみたいと思います。
仏さまを念じること・仏さまを心に写し出すことを、お念仏と申して宜しいかと思います。
では、仏さまとは、一体なんでしょうか。
仏さまを、インドでは「ブッダ」と申します。
では、「ブッダ」とは、なんでしょうか。
「目覚めたもの」・「お悟りを開いたもの」と言う意味であります。
その「ブッダ」になられた方が、お釈迦さまであります。
そのお釈迦さまの教えを受け継いでいる私達の宗派は、「南無釈迦牟尼仏」とか「本師釈迦牟尼仏」とお称え申し上げ、それは、お釈迦さまを先生と仰ぎ、お釈迦さまの教えに従い、禅の修行に励んでまいりますと言う誓いの意味であります。
また、2500年前、お釈迦さまは、人々に「一切衆生悉有仏性」とおっしゃいました。
その意味は、世の中のすべてのものが仏さまであるとか、仏さまになる要素があると言うことであります。
私達の宗派の回向文では、「十方三世一切の諸仏・諸尊菩薩・摩詞薩・摩詞般若波羅密」と申します。
この諸仏・諸尊菩薩の中には、お釈迦さまを始めとして、阿弥陀さま・観音さま・お地蔵さま等々あらゆる仏さまが含まれているのであります。
したがって、私達の宗派では一仏にこだわらずに、どの仏さまにも礼拝しますし、心に仏さまの種を蒔き、そして育てることが、本当のお念仏と申せましょう。
口先だけで、仏さまの名前だけをお称えするだけでは、本当のお念仏とは言えないのであります。
お釈迦さまに礼拝する時は、「南無釈迦牟尼仏」と心に念じ、私はお釈迦さまを人生の先生として仰ぎ、お釈迦さまの生徒となります。
生徒となった限りは、仏道修行に励み、心を磨き、お悟りを開きますと誓いを立てるのであります。
その誓いの証が受戒であり、お釈迦さまの生徒であるという証明がお戒名になるわけであります。
お戒名は決して、死んだ時に付ける名前でもないし、死んだ人の名前でもありません。
まして、お金を出して売買するものではありません。
丁度、あそこに観音さまが立っていらっしゃいますが、観音さまに礼拝すると時は、「南無観世音菩薩」と心に念じます。
観音さまといえば、お地蔵さまとならんで菩薩さまの代表的な仏さまです。仏界では、声聞・縁覚・菩薩・如来と修行の段階によってわけてあります。
菩薩さまが更に仏道修行をお積みになりますと、如来さまにおなりになるわけであります。
そこで、観音さまは、33の姿に変化し、あらゆるものの声を聞いては、救済する大慈大悲の修行を積まれているのであります。
観世音の「観」は、見るとか、聞くという意味でありますし、観世音の「世音」は、世の音つまり世の中の声の意味であります。
世の中の声をしっかり見聞きし、救済活動をしているのが観音さまであり、それが観音さまの仏道修行なのであります。
ややもすると、観音さまを困った時の神頼み式に、助けていただくことを目的としてお祈りをする方々が多いのは、間違った礼拝の方法と言えましょう。
本当のところは、観音さまのご修行に倣って、あらゆるものに耳を傾け、よく理解し、損得勘定なしで、献身的な奉仕活動をいたしますと誓いを立てるのが、「南無観世音菩薩」なのであります。
本日は、地蔵盆ですから、お地蔵さまに礼拝する時は、「南無地蔵菩薩」と心に念じます。
お地蔵さまと言えば、最も身近に感じる親しみのある菩薩さまであります。
「地の蔵」と書くように、お地蔵さまは大地から色々なものを供給してくださっています。
燃料となる石油、鉄・金・銀などの金属類、水・米・野菜などの食料、材木・セメントなどの建築用材などなどあらゆるものが大地から生成されています。
この大地の貯蔵庫がお地蔵さまであります。
また、大地の底のような真暗闇の世界、つまり地獄をあてもなくさ迷い、苦悩し、自分の力ではどうしても抜け出ることのできないものを救済し、光に導き、仏さまの世界に、お悟りの世界に導く、生とし生けるものへの抜苦与楽の仏道修行をされているのであります。
このように、お地蔵さまのご修行に倣って、日々の生活が何不自由なく生活の糧を与えていただいていることを感謝するとともに、地獄で苦しみ、悩み、さ迷っているものに、少しでも力をお貸しすることのできる生き方をしますと誓いを立てるのが、「南無地蔵菩薩」なのであります。
礼拝した仏さまを心に念じ、心に反映し、誓願するのが、私達の宗派のお念仏と申せましょう。
もし、礼拝している仏さまの名前がわからない時は、私達の宗派でいつもお称えしております回向文
「願わくはこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを十方三世一切の諸仏諸尊菩薩摩詞薩摩詞般若波羅密」
とお称えしましょう。
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