●コロナ禍だから出来る事

令和3年5月掲載

 ※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。

 昨年より出来るだけ外出を控えて、法務(お寺の仕事)や買い物以外では殆ど外出をしておりません。皆様も同じような状況かと存じます。私自身が元々出不精ですので、生活に劇的な変化はございませんが、それでもどことなく窮屈感(きゅうくつかん)を感じます。 
 この様なコロナ禍で、私も外出したり人に触れ合わなくとも出来ることをはじめました。お寺参りに来られる方に少しでも楽しんでいただければと考えて、境内に花鉢を並べることにしました。四鉢からはじめましたが、徐々に数を増やし、今は二十鉢近くになっております。春から夏は日日草、ポーチュラカ、ペンタス、カリブラコア、ミニ向日葵、キバナコスモス。秋から冬は葉牡丹、よく咲くスミレ(パンジー)を育てております。なにぶん下手の横好きですから、なかなか思い通りにはいきません。葉っぱだけが生い茂ったり、やっとつぼみがついたのに咲く前に萎れてしまったり、咲いてほしい時期に咲かなかったり、暑さ寒さで全滅させてしまったり、寄せ植えのレイアウトが不自然であったりと、大変困難しております。一般家庭の玄関先に何時もセンス良く花が飾られているのを見て、中々あの域に達するのは難しそうだなと実感致しました。しかし、気持ちを込めて育てた花が綺麗に咲いてくれた時には、なんとも言えない喜びがあります。毎朝ランニングのついでにお参りに来られる方に「綺麗ですね。いつも楽しみにしています」と、お言葉を頂いて、大変な励みになっております。これから試行錯誤を繰り返して、境内に一年中お花が咲く様な風景を作り出せればと夢みております。
 さて、この様に不自由な状態だからこそ出来ることがあると思います。私達は今まであった物が無くなってしまった時に、大変苦しみを味わいます。その上、無くなったものを取り返そうとすると更に苦しみが増します。
 臨済宗の祖、臨済義玄(りんざいぎげん)禅師は「求心歇(や)む処(ところ)、即ち無事(ぶじ)」と解かれています。こうなって欲しいと思う心をもっていると安らかな心にはなりません。不安な心にとらわれ過ぎて、そこに留まってしまっては時間が大変勿体無(もったいな)いです。不安な心は歇(や)めてしまって、今の環境で、今持っているものに目を向けて、今何ができるのか、を模索することが大切かと存じます。そうすることが、新しい楽しみを見出す事に繋(つな)がります。


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