●アンパンマンと禅のこころ
令和7年9月掲載
※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。
現在放送中(九月末まで)の朝の連続テレビ小説「アンパン」は、アンパンマンの作者・やなせたかしさんの一代記を描いた作品です。なかなか毎日欠かさず見るのは難しいですが、心に残る場面が多く、アンパンマンが生まれるまでにやなせさんがどのような人生を歩まれたのか、とても感銘を受けています。
私自身、小さいころによくアンパンマンを見て育ちました。主題歌の「アンパンマンのマーチ」も耳に馴染んでいますが、あらためて歌詞を読み返してみると、子ども向けとは思えないような、やなせさんご自身の人生の重み、そして仏教、特に禅の教えとも重なる部分が多くあるように感じます。一部を取り上げて、ご紹介させていただきます。「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」
皆さんは、なんのために生まれて、なにをして生きるのか、その答えを見いだせておられるでしょうか。禅ではこの問いを「生死事大(しょうじじだい)」といいます。私たちは、生まれることも、老いることも、病や死も、自分の思い通りにはなりません。しかし、その限られた命をどう生きるのか。この問いは、禅における一大事であり、人として大切にすべきテーマではないでしょうか。
「今を生きる事で熱い心燃える だから君は行くんだほほえんで」
禅では「今を生きる」ことの大切さを「而今(じこん・にこん)」という言葉で表します。「而今」とは、「ただ今このときを大切に生きる」という意味です。過去を悔やまず、未来を憂えず、今この瞬間を、熱い心をもって生きること。そして、そのときの表情は、怒りや悲しみではなく笑顔。「和顔(わげん)」で人と接することが、心の修行にもつながります。
「そうだうれしいんだ 生きるよろこび たとえ胸の傷がいたんでも」
この部分は、やなせさんが気づかれた、もっとも大切な想いが込められているように思います。人生は自分の思い通りにはならず、誰しも必ず死を迎えますが、それでも「生きていることはありがたい」と感じる。その気づきが、この歌詞には表れています。しかも、「ただありがたい」だけではありません。「胸の傷が痛んでも」とあります。この「胸の傷」とは、やなせさんが人生の中で経験された深い悲しみや苦しみそのものではないでしょうか。戦争、弟さんの戦死、長い下積みの生活、その痛みを抱えながらも、それでも「生きるよろこび」に気づかれたのです。禅ではこれを「大死一番、絶後に蘇(よみがえ)る」といいます。一度深く自我を手放し、苦しみを通過した後にこそ、真の目覚めがおとずれるとされます。
戦時中、「正義」の名のもとに多くの人が戦い、やなせさんの弟さんも命を落とされました。ところが終戦後には、その「正義」は「悪」とされてしまいます。その経験の中でやなせさんがたどり着いたのが、「飢えを満たすことこそが本当の正義ではないか」という気づきでした。
この思いから生まれたのが、アンパンマンです。お腹をすかせた子どもに、自分の顔であるアンパンを分け与える。これはまさに仏教でいう「布施(ふせ)」、つまり他者に喜びを与える行いです。アンパンマンは、食べ物を差し出すヒーローなのです。
アンパンマンには、やなせたかしさんの深い人生体験と、仏の教えにも通じる大切な気づきが詰まっています。どうぞ皆さんも、あらためてアンパンマンの世界に触れてみてください。今を大切に生きるとはどういうことか、「生きることのありがたさ」とは何かを、やさしく、力強く語りかけてくれるはずです。
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