●我田引水

令和7年3月掲載

 ※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。

 昨年発行しました十二月号で「お客様は神様」のお話をしましたが、その続きのようなお話になります。昨年、信じられない内容の記事をヤフーニュースで見ました。“ゴミ箱を置かない事業者への抗議として、あえてそこにゴミを放置している”というのです。
 どういう事かというと、“ゴミ箱が設置されていない売店や自動販売機で商品を買ったが、すぐに捨てられないのが気に食わなくてポイ捨てし、ゴミ箱を設置させようという抗議をしている “らしいです。お祭りや河川敷のBBQなどでもゴミが放置されているのを見かけるかと思います。これがまかり通るのであれば、何でも好き勝手な理由をつけて、自分勝手に行動できてしまいます。まともな人なら、ゴミ箱があったら便利なのにと思ったとしても、きちんと持って帰るなり、別のゴミ箱に捨てるなりするはずです。
 京都駅周辺の公園でもポイ捨てが問題になっているらしく、「高い税金を払っているからポイ捨てしても良い」と全く筋の通らないことを、さも通っているかのように言う人が別のニュースで取り上げられていました。ポイ捨ては、廃棄物処理法違反や軽犯罪法違反に該当する可能性があり、軽犯罪法違反に問われた場合、拘留もしくは科料または併科となる可能性があります。
 このような事象の根底には、現代人の無責任さや身勝手さがあるのでしょうが、少し見方を変えますと「如何にして被害者になるか」という考えがあるのではないかと思います。どういうことかというと、最初の例で挙げましたゴミを放置する問題では、「商品を買った客=神様なのに、捨てたい時に捨てられないという被害を被った」と考えている、二つ目の例のタバコのポイ捨ては「高い税金を払っている客=神様なのに、吸殻をすぐに捨てられない被害者」という意識があるのだと思います。自分の行動を棚に上げるというよりも、相手が先に悪いので自己防衛的に自分の行動は正しいと考えているのではないかと推察できます。煽り運転の事件なども、割り込まれたことばかり頭にあるから起こるのでしょう。
 最近になって「カスハラ」という言葉がようやく出てきました。厚労省が遅いながらも「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」を作成しました。カスハラの例として有名なのは、土下座の要求や過度な金銭・商品交換の要求があります。他にも、身体的・精神的攻撃、威圧的な言動や継続的執拗な言動、(土下座以外の)謝罪の要求なども挙げられています。「言ったらカスハラとか言われるんではないか」と気にして正当な意見を我慢し耐えなければならないことはありません。完璧な人間などいませんから、何かしらミスをし、ミスをされ、お互いに譲り合って助け合って生きているのであります。お互いに良いバランス感覚をもって過ごしたいものです。
 さて、もう死語なのでしょうか、「郷に入っては郷に従え」という言葉があったはずなのです。これは、中国禅宗の歴史書『五灯会元』にある「且道入郷隨俗一句作麼生道」の句がその語源となっているようです。
 黄檗宗の本山・萬福寺では、昔ながらの修行法で日々の禅堂生活をおくっています。朝の五時前から開静太鼓というものを鳴らし、五時には朝のお勤めが本堂で始まります。この開静太鼓がうるさいと近隣から苦情があったと耳にしました。三六〇年前から続いているものですから、近隣の人は当然、分かって近隣に越してきたはずなのです。いい年をした大人が、「納得したつもりだが、やはり後から嫌になったから反故にする」こういう子供じみた行為が最近本当に多いのではないでしょうか。
 佛日寺は三十三年前、梵鐘を再鋳し、以降毎年欠かさず除夜の鐘を奉納できました。コロナ禍では撞いていただけないにも拘らず、多くの参拝者の方がお越しいただきました。参拝者の方をはじめ、佛日寺近隣の方々は非常に賢明な方ばかりで、まだ除夜の鐘の苦情などは届いていませんから、今のところはご安心いただけると思います。


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