●我々はどう生きるか

令和5年11月掲載

 ※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。

 「死に様は生き様。生き様は死に様。」と言われることがあります。亡くなった際、家族・親戚・友人・同僚などなど大勢の方に惜しまれ見送られる、そのような方は生きている間も皆を気遣い尊敬され、人情に厚い生き方されたからこその最期だと思います。反対に、自分勝手で文句ばかりで誰からも疎まれているような方のお葬式に、誰が押しかけて惜しみの声をかけてくれようか。これは何も文句を言うなとか嫌いな人がいてはならないとか過ちや失敗をしてはならないという意味ではありません。謝るべきときは謝る、お礼を言うときはお礼を言う、「いただきます」「ごちそうさま」が自然と出てくる、そういった関係性の中でありがたく生かされている、つまり縁起・輪廻転生の法の中で実直に生きていくことが大切だと思います。我々は突然変異的にポッと出て勝手に消えるわけではありません。ご先祖の誰か一人が欠けていたら我々は今存在し得ないのです。脈々と受け継がれ、そして続いていく。我々はその途中経過を任されてここに居ます。ですから、お盆やお彼岸などお墓参りをされるでしょうし、仏壇にご飯をお供えして手をあわせておられるのでしょう。
 さて、宮ア駿監督の十年ぶりのジブリ新作映画「君たちはどう生きるか」が公開されています。おそらく今回が本当に集大成、つまり最後の作品だと言われています。岡田斗司夫氏はジブリ映画のパレードのようなものと表現されていました。宮ア駿監督のジブリ要素がふんだんに盛り込まれた作品という表現だと思います。
 主題歌は米津玄師さんの「地球儀」という曲です。この曲は四年間も練りに練られた作品とのことで、膨大な絵コンテなどから感じたことをそのまま曲にしてほしいとの依頼だったそうです。米津氏は「初めて曲を監督に聞いてもらった際、監督は涙して聞いておられた」「その光景は宝ものです」とのことです。その曲が最後の作品にふさわしい出来で、まさに監督の生き様を表していたからこその涙だったのではないでしょうか。もし自分の生き様が映画になるとすれば、今からどのような振る舞いをし、何をしてゆき・・・次の世代に何を残せるのでしょうか。見られて恥ずかしい作品にならないよう心がけ、実践していくことが大切でしょう。
 なくなる命あれば生まれ出る命もあります。しかし、いくらお金があろうとも世の中や将来に不安があれば子どもが減っていくそうです。今まさにそうだと思います。数少ないこどもたちも、いつの間にか生まれ、なぜか学校に行き、なぜか勉強させられ、給料のために働かなければならない。こういった意識も多い気がします。
 十月号にも書いたように先人の智慧が失われていっていることも要因でしょう。結婚や子育てをコスト・面倒なものという意識の方が強いのです。そこに時間や費用を賭けるくらいなら自分の趣味や仕事に費やした方がお得といった感じです。さらには、自分はなぜ子孫を残したいのか、または残したくないのかすらわからない者も多く居るのです。世のお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんは、どういう心積もりで子どもをもうけたのか、そのときの気持ちも伝えてあげてほしいと思います。生まれてきてくれてありがたいという気持ちをです。そうすれば、その言葉を咀嚼(そしゃく)し、自分のものにして進んでいってくれるのではないでしょうか。
 世界四大文明はせいぜい五千年前ですが、日本の長野県香坂山遺跡は3万6800年前といわれています。また、お米も3000年前の縄文時代末期に朝鮮半島から伝わったと言う説がありますが、岡山県や鹿児島の遺跡でそれより古いお米が発見されています。歴史は変わっていくものではありますが、日本は他の国々よりもっと誇れる歴史を持ち、心優しく賢明な人たちの集まりのはずです。江戸時代からすでにSDGsを実践し、LBGTを受け入れてきたのが日本です。今さら海外から押し付けられるようなものではありません。今一度腰をすえて坐禅し、他国の情報に惑わされず、生き様を見つめ直すときがやってきているのではないでしょうか。

  風を受け走り出す 瓦礫を超えていく 

  この道の行く先に 誰かが待っている


TOP