※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。
最近、人々の心が荒んできているように感じる」と言われて久しいと思います。これはどのようなところから感じられるかと言うと、ずばり「他人の迷惑などを考えずに自分勝手な行動をとる者が多くなった」ように感じるからではないでしょうか? 昔から「空気を読む」や「忖度」が日本的なものでしたが、特にアメリカや中国などの海外では自己主張がはげしく日本人としては我が強いと感じられるものです。この海外の考えが日本人に強く影響し、日本的なものと海外的なものの間で振り回されているのだと思います。
副作用を度外視してワクチン利権で金儲けに走る海外の製薬会社、迷惑行為を炎上させて有名になろうとする者、他人の駐車場に勝手に停めて開き直ったり、花火大会に参加してごみは散らかして帰るなど、自分の利益や権利に目がくらみ、その裏にいるはずの被害者を無視する・見ないふりをする者が増えてきた。昔はお天道様が見ているとは言われたものですが・・・。
さて、「真(しん)善美(ぜんび)」という言葉をご存知でしょうか。(甲子園でも何度か流れましたが、とある学校の校歌にも「学徒のあこがれ真善美」というフレーズがあります。)西洋の宗教的な神様と日本の庶民的なお天道様の間のような表現として真善美(反対の意味の言葉は「偽悪醜(ぎあくしゅう)」)があります。「真」実を追い求め知ろうとすることを哲学すると言い、「善」い行いとは何かを考え実践するのが宗教的営為と言えます。「美」は芸術のことです。この真善美はいわゆる悟りの境地と言ってよいと思います。学者の三宅(みやけ)雪(せつ)嶺(れい)という方が書籍「真善美日本人」「偽悪醜日本人」で、日本人が固有の価値を自覚して磨けば、真善美の価値を正しく理解し白人の欠陥を補ってゆける世界が実現できると説く一方、自国固有の価値を軽視して欧米化にいそしむ風潮と腐敗を厳しく批判していました。これは最近の書籍ではありません、1890年代のものです。つまり当時から、守るべき伝統と、取り入れるべき海外の影響とのバランスの悪さがあって、現在それが顕著に現れているわけです。
私が小学生の頃は1990年代で非常に楽しく過ごせた気がします。デパートの屋上に遊ぶところがあったり、大きな遊園地があったり、近くにビデオのレンタル屋さんがありましたが今はもうありません。この90年代から消費税が導入され、銀行所有の会社の株が海外に流れ始めて日本経済の衰退が急加速した時期です。「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」というフレーズで有名な「世界に一つだけの花」という歌もこの頃です。高度経済成長を経てナンバーワンになることが強くなりすぎたことへの警鐘だと思いますが、現在は逆にオンリーワンが強くなりすぎて個人主義が行き過ぎているように感じられます。
お釈迦様の「天上天下唯我独尊」という言葉はとても有名です。「宇宙の中で自分より尊いものはない」ということですが、「自分より尊いものはないから、他のものは自分より下で大切にしなくてよい」と勘違いしては決してなりません。AさんにとってはAさんが一番大切、BさんにとってはBさんが一番大切、であればAさんもBさんも等しく一番大切でしょう、と言う意味であります。オンリーワンであると同時にナンバーワンでもあるのですね。「量より質」、「二兎追うものは一兎をも得ず」という言葉もありますが、今の我々は量も質も疎かになり、二兎どころか一兎すらも何も追わない状況に陥ってしまってはいないでしょうか。自分のことを優先するあまり、人間関係や家族を疎かにして孤独に陥り先人の智慧を失っているのではないか。自分にとって大切なものかをきちんと考えず、与えられたものをホイホイ受け入れて、自己を失っていっているのではないか。
仏教では「欲を捨てる」ということはよく言われますが、それ以前に本当に大切なもの=真善美を捨ててしまってはいないでしょうか。どこかの国のように他国への尊敬を忘れ、自国の誇りや利益ばかり追い求めていてはいけません。また、増税ばかりして自国民が苦しむようなことばかりする政治家や官僚にもなってはいけません。自分を大切にすることは当然として、それと同じように他も大切にすることが天上天下唯我独尊の実践であり、真善美=悟りの境地を目指すことになるのです。
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