●下載清風

令和4年8月掲載

 ※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。

 夏真っ盛りです。蝉も無心で鳴き続けております。この歳になると蝉とりをする気も無いのですが、木の下を通ると蝉の方は「捕まえられまい」と警戒して「ピシャ」と小便を吹きかけて飛び去って行きます。
 さて、徳川家康公が武田信玄公との三方ヶ原の合戦にて、あまりの猛攻に恐れおののき大便を漏らした逸話は有名です。敗戦の悔しさを忘れない様に、その姿を絵師に描かせ「しかみ像」として後世に残されました。常人では闇に葬り去りたくなるような過去であったとしても、不の方向ではなく自らの戒めとしてプラス方向へ転化するといった姿勢が家康公を天下人ならしめたのではないかと思います。
 人間誰でも大便関係の失敗はあるかと思います。私の場合ですが、八幡の道場での雲水時代の話です。そこでは日供合米(にっくごうまい)という遠方の村々へお米の喜捨を頂きに行くといった托鉢(たくはつ)修行がございました。それは月に数度ありまして、二十キロ程歩く遠方コースや、百軒近く回り約六十キロ分ものお米を頂くコースもありました。その日は、道場を出てから一時間はトイレを借りられる場所が無いコースでした。朝からお腹の調子が悪く「これはまずいな…」と思いながらも三十分程は無心で歩けていたのですが、「意識しないでおこう」と思えば思うほど、平常心では居られず便意が込みあがってきました。そこから十分ほどで限界を感じて、どうしようもなくなり横道に入りますと、そこには田んぼに水を入れる水路がありました。これ幸いとパッと衣をたくし上げ、ついには大惨事を免れた次第であります。周りに何も遮るものが無かった中で、誰にも見つかることなく、無事に排便を終えたことは奇跡でございました。しかし、人生二十数年の中で初めて野糞をしてしまったことにひどく罪悪感を覚えました。便の失敗は人生に深く影を残すことになりました。道場に帰ってからも、しばらくはビクビクしておりました。
 道場を出て数年経ち、修行仲間の晋山式に手伝いに行った時です。習礼(リハーサル)を終えて、旅館にて先輩方や仲間と雑談している際に、なぜか修行時代の失敗談になりました。中には十年以上の修行歴を持つ大先輩もおられましたが、その人も含めて皆が皆苦い経験をされていたのです。本来なら恥ずかしくて隠してしまいたくなる様なことを、各々が「こんなことが〜、あんなことが〜」と大笑いしながら我先にと語り合いました。私も満を持して右記を話したところ、「なんや漏らしてないんか、大したことないな。漏らしてからが本番や!」と喝破(かっぱ)されました。「あぁ、自分の失態もこの人たちの前では霞(かす)んでしまうな。上には上が居るもんや」と思った次第です。このような、なんでも笑い話にしてしまう態度こそ、禅の精神かと思います。暗い過去をいつまでも背おって居ればそれに囚われて潰れてしまいます。そんな荷物をさっと下ろしてしまえば、心に幸せの風が吹いてくるのです。そういった「からり」とした心意気を「下載清風(あさいせいふう)」。といいます。
 さて、今月はお盆です。ご先祖様と親族集まって、皆で良い思い出も、嫌な思い出も沢山あると思いますが、夫々(それぞれ)笑いあってお過ごし頂ければと思います。


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