●オリンピック

令和3年10月掲載

 ※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。

 スポーツの秋ですね。二か月前の話になりますが、東京オリンピック・パラリンピックが大変盛り上がりました。コロナ禍のために一年延期となり、今年の開催も危ぶまれましたが、混乱期の中でも無観客で開催されました。この五年間、それぞれのアスリートが自らの競技に精一杯打ち込まれた努力の集大成を見ますと、大変胸を熱くするものがありました。なかでも今回限りの新競技である空手の型は迫力がありました。ひねくれている私は「戦わずに演舞をして何が面白いんだ」と思っていたのですが、実際に見てみると一挙手一投足の所作一つ一つが洗練されており、何度も何度も繰り返して鍛錬されたであろうその技に魅了されている自分に気づきました。大変な中でも自分の道を信じ一日一日精進された賜物だと思います。これはほかの競技でもいえることであります。メダルを取れた人、メダルに届かなかった人もそれぞれ輝いているように見えました。
 さて、禅語には「一行三昧(いちぎょうざんまい)」という言葉があります。一行とは一つの物事を突き詰めるということで、三昧とは物事に深く集中するということです。つまり、自らのすべきことを一心に行い、精神を統一して無心で邁進するということです。禅宗においての行は一に作務(掃除)、二に作務、三に作務、四に坐禅、五に観経(読経)です。七月は梅雨の中でなかなか外掃除ができないので、境内中に雑草が生え放題、伸び放題になります。この雑草も放っておけば種を撒き散らして増殖する一方になり、手に負えなくなってしまいます。暑い中ですが施餓鬼やお盆行事に向けて、合間をみつけては草抜きをしなければなりません。鎌とちり取りと共にしゃがみ込み、目に入った草を手当たり次第抜きます。ローラー作戦ですので西から東へ一メートル幅ほどの範囲を見ながらすすみ、塀に突き当たれば一メートル横へずれ、今度は東から西へ切りかえしていきます。あまりの草の量ですので何かを考えながらすると少しも減りません。それこそ手に持っている鎌の先に全集中をして、余計なことを考えずにひたすら抜き続けなければなりません。本当に雑念なく集中して行うと暑さを忘れ、あっという間に二、三時間は経っています。中々草を全滅させることは難しいですが、時々すべての草を抜き切ることがあります(次の日には草はまた生えておりますが…)。そんな時、境内を見渡すと輝いているように見えます。これをお施餓鬼やお墓参りに来られた方に「いつもきれいですね」と言っていただくと大変励みになります。
 さて、スケールの大きなオリンピックから、スケールの小さな草抜きへ話は移りましたが、これらはどちらとも一行三昧の結果だと思います。スポーツや仏道修行に限らず、日常生活のすべてに際して心が素直でいられたら、それもまた一行三昧といえます。

皆様も自らの一行三昧を大切にして頂ければと思います。


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