●沿革
■開創時期
『明細取調御届ケ』(明治37〔1904〕年提出)によると「享保三年拾二月四日開山梅嶺和尚創立ス」とあり、『大阪府全志』巻之三(大正11〔1922〕年発行)においては、
「享保年間曉雲和尚の徒弟萬谷和尚、十方の信施を以て再建し、祖翁梅嶺大和尚を請じて中興の開山とせり。」とあります。享保三年(1719年)に萬谷和尚が十方行脚して再建費用を募り、ついには廃寺を立てされたとのことです。そして自らが開山になることなく、既に遷化されていた大師匠である梅嶺和尚を勧請開山に迎えられたということです。現在も梅嶺和尚と萬谷和尚の位牌は本堂にお祀りされています。
■寺号「福泉庵」
当初は「青雲山福泉庵」と号しており、現在の「宝珠山福泉寺」と号するようになったのは昭和に入ってからです。大正に発行された『西成郡史』と『大阪府全志』巻之三には未だ「福泉庵」とあり、昭和6年の台帳にも字体は違いますが同じく「福泉菴」です。
遅くとも「宗教法人福泉寺の規則」が大阪府より承認を受けた、昭和27(1952)年9月1日までには「福泉寺」を号する様になったのではないかと思われます。明治37年には「本寺摂津国自敬庵末福泉庵」と記載され、西三国の自敬庵(現在の自敬寺)の末寺の時代があり、住職の法系(東林派)が共通しております。
■創建当初の福泉庵の所在地はどこか?
所在地は『明細取調御届ケ』(明治37〔1904〕年提出)によると「摂津國西成郡神津村大字新在家」とあります。これは現在の大阪市淀川区新高と同じ場所にあたります。
まず「摂津國」とは、現在の大阪府北西部と兵庫県南東部にあたります。
「西成郡」とは、現在の西成区という小さな括りではなく、大阪平野を南北に伸びる上町台地から西半分、北は神崎川までの地域にあたります。
次に「神津村」とは、明治22(1889)年に西成郡の今里村・堀村・小島村・木川村・三津屋村・堀上村・野中村・新在家村が合併して名づけられました。
「神津」は神崎川の「神」と、中津川(新淀川)の「津」の一文字を組み合わせて名付けられました。現在も神津神社や神津小学校に名前が残っております。
大正11(1922)年には町制施行により「神津村」から「神津町」となり、大正14(1925)年には大阪市東淀川区に編入され「新在家村」が遂に「新高町」となります。
■昭和の住職
昭和からの歴代住職は黄檗宗務本院への提出書類によって知ることが出来ます。昭和2(1927)年に服部承董和尚が兼務住職となり、続いて昭和18(1943)年に鈴鹿高久和尚が住職となるも在職わずか5年で第二次世界大戦にて戦死され、昭和27(1952)年に服部祖承和尚が住職となり、そして昭和36(1961)年に先代の赤松達明和尚が住職として入られました。 ※新資料発見により令和7年加筆
■謎の拝み屋さん
赤松和尚の先代は書類上は服部祖承和尚のはずですが、貝島浄妙という老婆が戦中戦後に孫と共に本堂に寓居していたという話が新高に伝わっております。現在も本堂に御遺影が残っていますが有髪で真言宗の輪袈裟(三つ巴紋)を首にかけた衣躰であり、本山には僧籍記録がありませんので正式な僧侶ではなかったと考えられます。
弘法大師像を祀り「大坂新高大師講」なるものを組織したり、超能力を使えたという話も伝わっており、拝み屋さんとして地域に親しまれていたようです。
赤松和尚の息子さんによると、大坂新高大師講はご詠歌の会であり、貝島さんが亡くなられた後もしばらく続いたようです。定期的に練習があり年に一度高野山のご詠歌大会に参加したそうです。
御遺影の裏には「清凉院眞室淨妙大姉 昭和三十六年八月没」「この方は戦災に会って堺の方からたこの地蔵さんをしよてにげてこられ村の人がここにすみなさいといってあげた人で私達はそれを信じて来ました。いつから住んでおられたかは存じません。高須の和尚さんからも何も聞いてません。孫さんがおられますが養子に行かれて音信がありません」と書かれた紙が張り付けられています。
この方がどの様な人物であったかご存知の方は教えて頂ければと存じます。
■福泉寺再興
現在の伽藍となったのは赤松和尚の精励によるところが大きく、それまではボロボロの木造本堂がポツンと建っている状態だったとのことです。入寺して間もなく何者かに建物を破壊され、赤松和尚夫妻の尽力により昭和38年に右側の庫裏、昭和42年に本堂と正面の書院を建立されました。
境内に建立されている和宝塔の裏面には「福泉寺再興を機に一切衆生悉皆和平を祈願してこの碑を建つ」と刻まれています。平成6(1994)年には伽藍を再び整備され、ご本尊の修繕もされました。その後、赤松和尚は黄檗宗務本院にて、宗務総長を2期(10年)勤められて、平成20(2008)年11月に塔頭の宝蔵院にて遷化されました。
そして現在の兼務住職服部潤承和尚に繋がりますが、実質的には赤松和尚の奥さんが平成27年まで坊守を続けられました。
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