●直方堂


 寛政元年(1789年)麻田藩10代藩主一貞公(正法院殿・不老斉)により、麻田藩領内(麻田村)に藩校が創設された。
 小藩(一万石・格付十万石)でありながら藩の教育機関を設置し、藩領内の子女の知・徳・体の練成に努め近代日本への礎を築き、近代化への橋渡しを担った。 約80年間存続した藩校は廃藩置県により、文武局を経て新制の公立学校に移行していたのである。
 今となっては、詳細を知るよしもないが、藩校の名前だけでも後世に語り継がんと、麻田藩主の菩提寺境内に、小さきながらも直方堂を創建した。
 直方堂の意味は、直伝方正の略で、正しい行いを師から子弟に直接伝え授ける学び舎と言えよう。 この麻田藩主の思い入れを、少しでも現代に具現しようと、瀟洒で落ち着いた純和風の佇まいになるように努めた。 少人数の勉強会・茶話会等多目的に使用することができる。


外観 東南面
外観 正面


@直方堂の沿革
藩主青木一貞の創設、十津川の住人吉川幾右衛門を招いて経学を教えた。
天保年間、青木一興によって、中井竹山の門、山口太四郎を呼び、漢学・書数・礼法等などを教えた。
A直方堂の内容
教科時間は午前中。学徒は8歳から15歳までで、通学50人、寄宿10人余、経費米100石、銀250匁。藩士の教育を主としたが、一般の子弟の入学を認めた。
B直方堂の組織
明治初年の「藩治改革」では、文局があって、学監−副学監−教授−教佐という職別があった。