●月を掬すれば掌に在り

89.令和5年9月23日(土) 秋季彼岸会の一席
 演題「月を掬すれば掌に在り」 住職(服部潤承)


 今日は。新型コロナウイルス第9波とインフルエンザの流行が囁かれている今日、用心のため、手の消毒とマスク着用のご協力をお願い致します。秋のお彼岸を迎えておりますのに残暑が厳しく、真夏の様相です。その中に在って、童謡ではありませんが、小さな秋を見つけることができます。日暮れが早くなりました。秋の彼岸を告げる玉すだれが咲き始めました。木々の色が萌黄に変わりつつあります。虫の音も夏の虫から秋の虫に変わってまいりました。そして、月が美しく眺められるようになりました。後ほど月について、お耳をけがしたいと思います。

 ところで、日本の漁業が立ち行かなくなると言われています。日本周辺で獲れた魚貝類が海洋汚染によって輸入規制をしたり、誹謗中傷の電話を繰り返したりする「嫌がらせ」が続いています。その反面、日本周辺で厚かましく操業を繰り返し、獲れるだけ獲って自国に持って帰って行きます。不買をするくらいの不安があれば、日本周辺で操業することを止めてもらいたいと思います。

 トリチュウム処理水を放水している国は、他にもあります。日本は日本の漁業を守るために、基準値を下回っての放水を進め、常に放水周辺の海水を採取分析して検出限界値を下回っていることを確認しています。丁度この間、家内の誕生日でしたので、海鮮丼を美味しく戴きました。風評被害を少しでも払拭したいものです。

 月といえば、8月30日から31日にかけて、年間で最も大きく見える満月「スーパームーン」を眺めることができました。それに加え、月初めに満月を迎えると月末に再び満月を迎える時があります。これを「スーパーブルームーン」と申し、次回は2037年に眺められます。

 奈良時代の遣唐留学生(716年) 阿倍仲麻呂は唐で国家試験に合格し、諸官を歴任、日本への帰国を果たせず、詠んだ和歌が、

  天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出し月かも

【口語訳】天を仰いで遥か遠くを眺めていると、月が出ている。あの月は私の故郷である春日の三笠山に出ていたのと全く同じ月であるよ。

 浄土宗の法然上人が宗旨を詠んだ和歌が、

  月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ

【口語訳】月の光は全ての人を照らすが、その月の光を眺める人でなければ、月の心に気づくことができない。…月の光の照らさないところはないけれど、月を眺めない人は、月の光を見ることができない。…

 田毎の月の景色を想像してみてください。田園地帯の日も暮れ月夜の光景です。水をたたえた田圃毎に、月が一つずつ残らず映りこんでいます。どの田圃にも月が輝いています。田毎に水さえあれば月が浮き上がってまいります。

 江戸時代後期の小林一茶の俳句が、

  名月を 取ってくれろと 泣く子

【口語訳】名月を「取ってくれ」とわが子がねだっては泣いている。…子供にとって見るもの聞くものがみな珍しく、真ん丸の月が目に入って、どうしても手にとって見たかったので、泣いて駄々をこねている。…

 そこで、現実に手には月を取ることができませんが、禅語に、「水を掬すれば月手にあり」とあります。

 唐の詩人”于(う) 良史”の一節で『虚堂録』(南宋時代の虚堂智愚禅師1185年〜1269年の語録)に、

  或る僧が師に尋ねました。

  言葉による表現と無言による表現は、木に絡む藤のようなものを言いますが、これはどう言うことでしょうか

  師は質問に対して答えます。

  水を掬えば月が手の中に在り、花を手にすれば衣服に香りが移る

  …静かな心・無垢な心でいると、本質に触れることができる。…

 前の円覚寺管長の足立大進老大師が評して、「花も美しい。月も美しい。それに気づく心が美しい。」と。



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