●前三三後三三〜Withコロナ〜

81.令和3年8月7(土)・8日(日) 施餓鬼会の一席
 演題「前三三後三三〜Withコロナ〜」 住職(服部潤承)


 今日は。ようこそ、佛日寺の施餓鬼法要にお参り下さいまして厚く御礼申し上げます。今年も変則的な施餓鬼会になりました。非常事態宣言が再び発令されましたので、一日目はできる限り元に戻す形で時間・場所を変えないでの大施餓鬼法要にし、二日目は午前中短時間の小施餓鬼法要にして、密を避けました。
 コロナに思うパート2として、ZENからコロナを考えてみたいと思います。かつて、花園大学の学長でありました山田無文老大師の提唱の一部分を盛り込んでお話しいたします。
 この地球を毛皮で蔽いつくすことは到底できるものではありません。それは誰でもわかる事であります。今、コロナウイルスが全世界を席巻しています。国によってはロックダウンをしています。しかし、全世界をロックダウンすることはできません。まさしく毛皮で全世界を蔽いつくすことができないのと同じであります。理論的には毛皮で蔽いつくせば、誰でも裸足で全世界に行くこができます。
 そこで、山田無文老大師はZENの立場から次のようにお諭になりました。全世界を毛皮で蔽いつくすことはできないけれども、我々一人ひとりの足に毛皮を巻き付けることはできます。一人ひとりの足に毛皮を巻き付けることにより、陸地であれば世界中どこにでも行くことができるのです。
 コロナウイルス感染も全世界で同時にロックダウンすれば、人を媒体とする感染が無くなります。それぞれのお国事情があってロックダウンは大変難しいことです。しかし、我々一人ひとりがロックダウンすればコロナウイルスからの感染は避けられるものであります。つまり、我々一人ひとりが自分の足に毛皮を巻き付けることはいとも簡単にできると言えます。
 仏教に戒律があります。その戒律に「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」つまり、酒を飲んではならないと言う戒律があります。コロナウイルスに感染しないために「不飲酒戒」があるのではありません。飲酒を戒めたのは、「人酒を飲み、酒酒を飲み、酒人を飲む」(浮世草子)最初は自制しながら飲んでいますが、酒が進むにつれて、自制が無くなってきます。自覚も理性もすっかり無くなり、とうとう酒に飲まれてしまいます。お酒は百薬の長といいますが、百害あって一利なしとも言います。心身を壊し、場合によりトラブルに発展します。今回の都市部でのコロナ感染者が減らない一つの原因と言えましょう。
 せっかく日本でオリンピックが開催されるのに、生憎のコロナウイルス感染まん延中のために、無観客になったり、海外からの遠征が中止になったりで大変残念なことです。長い日本の歴史に禍根を残すようなものです。

 ところで、「前三三後三三(ぜんさんさんごさんさん)」碧巌録第35則に無着と文殊の問答が出ています。

文殊、無着に問う。「近頃、恁麼<いんも>処を離れしや」(どこから来たのか)

無着云く。「南方」

文殊云く。「南方の仏法、如何にか住持する」(南方の仏法はどのように行じられているのか)

無着云く。「末法の比丘、戒律を奉ずるもの少なり」(末法になり、戒律を守っている僧が少ない)

文殊云く。「多少の衆ぞ」(どれくらいいるのか)

無着云く。「或いは三百、或いは五百」(三百人か五百人か)

無着、文殊に問う。「此間<すかん>は如何に住持する」(ここ文殊のところでは、どれくらい仏法を行じられているのか)

文殊云く。「凡聖同居、龍陀混雑す」(凡人と聖人が同居し、龍と蛇が混在する)

無着云く。「多少の衆ぞ」(どれくらいいるのか)

文殊云く。「前三三後三三」(数限りなく混在している)


 三は「過去現在未来」「天地人」「上中下」「大中小」「左右真中」の時空を超えた世界を表します。
 現在、地球上には、コロナウイルスに感染している人・感染していない人・コロナワクチンを接種した人・接種していない人・免疫のある人・免疫のない人など数限りなく混在しています。「Withコロナ」(コロナウイルスと共存する社会)と言われて久しくなります。私たち一人ひとりが自分の足にワクチン・マスク・消毒等と言う毛皮を巻き付ければ、「Withコロナ」が実現できると思います。



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