●コロナに思う

80.令和3年3月20日(土) 春季彼岸会の一席
 演題「コロナに思う」 住職(服部潤承)


 コロナの2年目の春を迎え、すっかり日常の生活様式がかわってまいりました。テレワークと言って、会社に出勤しないで、自宅で仕事をいたします。会議はリモート会議と言って、コンピュータの画面に向かって話をいたします。授業は学校での対面授業ではありません。自宅でスマホやタブレットに向かっての授業です。医療も同じです。電話での往診ですますところもあります。どれもコロナウイルスの感染防止のための方策であります。移動の要らないのが何よりの利点であります。しかし、弊害もあるとか聞いております。例えば、機械を経由してのやりとりは温かみがないとか、一方的で心が通じないとか、画面に向かっていると目を悪くするとか。

 ところで、2回目の緊急事態宣言が3月1日より解除しました。多少、時間や人数等制約がありますが、自分で自分を守っていくことに徹しないと、新型コロナウイルスに感染してしまいます。手を消毒する。マスクをする。大きな声で喋らない。長時間、人と接しない。大勢の人達の居るところを避ける。ヨーグルトを食べて免疫力を高める。これだけでも感染を避けられるものと思われます。

 新型コロナウイルスのワクチンの接種が日本でもいよいよ始まりました。早いとか、遅いとか、意見は様々であります。

 接種対象者の最初は、医療従事者でありました。ドクターや看護師の皆さんは大変ご苦労されております。身を挺して頑張っていらっしゃる様子をみていますと、頭がさがる思いです。ご苦労ばかりで給料や賞与がまともに支払われていない医療機関もあるように聞いております。

 医療従事者の崇高な使命感だけでそれを頼りに、日本の医療が成り立っているようであります。ところが献身的に努力されている一方、夜おそくまで、遊興に耽っている不埒な人たちがたくさんいることもニュースになっておりました。

 医療従事に直接携わっていなくても、そっと寄り添える優しい気持ちが大切なように思います。

 医療従事者への接種が終われば、高齢者の番であります。年齢が65歳以上であれば、接種が受けられます。持病のお持ちの方は優先すべきと思いますが、普通の健常な高齢者でしたら、自分の力で感染症予防ができますので、年齢を問わず人と接することの多い方を優先してはと、思います。新しく変異種が感染をはじめました。感染力が強く若い方にもたくさん感染しているとか言います。接種対象が、時と場合をよく診て、対処しなければならないと思います。何分新型ウイルスは大変手ごわくどんどん変化してとりついてくるでしょう。

 平成7年1月17日の阪神淡路大震災より医療も変わりました。『トリアージ』です。時と場合により、臨機応変に医療を続ける方法であります。既成概念を打ち破ること。固定概念に縛られないこと。こうあるべきだと拘らないこと。『ZEN』に通ずるところがあります。

 そこで『ZEN』の話を致します。

 或る男性が奥さんとお母さんとともに、今にも壊れそうな危険な橋を渡っていました。案の定、橋が壊れて川に落ちてしまいました。この男性は、奥さんとお母さんのどちらを先に助けるかと言う問題です。

 日頃の信条により違ってまいります。西洋のキリスト教的な「愛」を大切にしている人は「夫婦愛」を大切にしますので、きっと奥さんを助けることでしょうし、東洋の儒教的な「道徳」を大切にしている人は「親には孝」を大切にしますので、きっとお母さんを助けることでしょう。では「ZEN」を実践している人は、「既成概念」も「固定概念」も「こだわり」もありません。従って「愛」も「孝」もありませんので、今、一番大切なこと。今、何をなすべきかが重要ですので、悩むことなく「奥さん」「お母さん」を分別無しに、溺れかけている人を先に助けることでしょう。

 華厳経に「融通無碍(ゆうずうむげ)」と言う言葉あります。どのような状況下にあっても、その時・その場所で最善の方法で臨機応変に対処できる心、松下幸之助さんの言う「素直な心」です。どんな困難に直面しても「融通無碍」に、ちょうど「牛若丸が五条の大橋でひらりと身をこなした」ように対処できるのが良いのではないかと思います。



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