●月みる月

71.平成30年9月23日(日) 秋彼岸会の一席
 演題「月みる月」 布教師 住職(服部潤承)


 今年は、台風の当たり年で、次から次と日本列島にやって来ております。太平洋が熱せられて、風や雨などのエネルギーをため込んでしまうのでありましょう。それが日本列島上空でストレスとでも言いましょうか、思う存分発散させているのでありましょう。自然も人もストレスは禁物であります。それにしても、台風21号は多くの被害をもたらしました。台風20号と同じコースを歩み、東風が特に激しくこの本堂の東側から雨が壁を伝って入り込んで来たり、本堂のてっぺんに総輪が立っていますが、その付け根が空気抜けになっております、その空気抜けの隙間から雨が吹き込んできて、達磨大師のとこに流れ込んで来たりいたしました。また開山堂の瓦やお墓の入り口の扉が東風に飛ばされてしまいました。皆さんのお家では、何もなかったでしょうか。お見舞い申し上げます。
 良くないニュースが続く中で、暗闇に光明を照らすようなホットニュースが世界中に伝えられました。それは大阪生まれの大坂なおみプロテニスプレイヤーが見事、全米で強豪を打ち負かして優勝しました。お母さんは北海道根室の出身でお爺さんも健在。お父さんはハイチ出身であります。幼少の頃、アメリカに移住、日本語はたどたどしいが英語は饒舌。しかし、和食を好のむとか。意に沿わないことがあっても、決して怒らず、ラケットを投げ捨てず、『我慢・我慢』と自分に言い聞かせるらしいです。成功の秘訣を学びました。日本人がここにも健在していました。

 「月月に月見る月は多かれど月見る月はこの月の月」(読み人知らず) 明月を芋名月とも申します。作者は判りませんが、芋を食べながら、箸で突いた穴から月を眺めながら詠ったと言われています。9月はお月見のシーズンです。一年中、月を見ることはできますが、涼しくなって地中の水蒸気が上がらなくなってまいりますと、空気が澄んで、月が美しく見えるのが9月10月であります。
 今日は、月に因んでのお話し致したいと思いますので、暫くお耳を拝借いたします。

 「天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」(柿本人麻呂) 

 天空の広大さ。 金色に光る月は満月それとも三日月、上弦の三日月の方が舟「ゴンドラ」に見える。一面に点在している星の林に、漕ぎ出した月のゴンドラが雲の波間に揺られ揺られて見え隠れしている夜空の月と星の共演と言うのか、自然賛歌が詠われています。

 「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出し月かも」(阿倍仲麻呂)

 天空を振り仰いで見ると、故郷の奈良の三笠山で、かつて見た今も記憶に残る輝く月。この異国の地(唐)でも同じ月をながめることができた。故郷(倭)の人達も今頃、同じ月を見ているのだろうなあ。昔も今も変わりのない、どこで見ても同じ月その月を眺めて故郷を思う感情「ノスタルジー」が詠まれています。

 「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」(法然上人)

 月影のワルツの月影と同じで月の光を意味しています。月の光は山里・村里・人里のすべてにとどいてます。その月の光に気付いている人と気付いていない人には、大いなる差が生じて、気付いている人は、その光が心にまで達して光に包まれて豊かになります。気付いていない人は、相も変わらず暗闇の中で彷徨っているようなものです。このような例があります。面白い本は身近にたくさんあっても、それを手に取って自分の目で読まないと、面白みが解らないのと同じであります。

 「明月を とってくれろと 泣く子かな」(小林一茶)

 天空に浮かぶ、まん丸い月を取ってくれよと子供が泣いてせがみました。一茶には、五人の子供がいましたが、四人は早死にし、五人目の子供は一茶が死んでから生まれたので、早死にした四人の一人が、「月を取ってくれよ」と、泣いたという「子供のけなげでいじらしくいたわしい」様子が詠われています。このような小咄がありました。弟が地面のところから竿で月を取ろうとしていました。そこに兄がやって来ました。「月を取るのには、低いところでは取れない。屋根の高いところに登らないと取れない」と言いました。それを聞いておりました父親は、 「さすが、兄はいいことを言う。」と感心したと云う馬鹿々々しいお笑いで、兄の言う通りに屋根に上っても月は取れませんでしたと言う落ちでありました。

 そこで、禅語に「掬水月在手」(水を掬<すく>えば、月は手にあり)『虚堂録』が思い浮かびます。

 天空に輝く一つしかない月も、手で水を掬えばだれの手の中にも月をうつすことができるように、唯一の真理もすべての人が手にすることができるのであります。

 先程、最後にお唱えしました回向文の最初の部分

 「菩薩清涼の月は、畢竟、空に遊ぶ。衆生の心水、清ければ、菩提の影、中に現ず」

 (仏様のような清らかな月は、行きつくところ、天空に現れる。人々の心の水が澄んでいれば、月の光がその中に映し出される)と申しております。

 最後に、「高い山がそびえていると、月が出てくるのが遅い。」と言う禅語があります。江戸時代の絵師であります狩野探幽が好んで使いました。探幽の求めているところが高かったのでしょう。大きな困難にぶつかった時やいい結果が出ない時、絶望感に苛まれた時、挫折感を嫌と言うほど経験した時、「山高くして、月上ること遅し」を味わいました。『大器晩成』大きなこと・困難なことを達成するためには時間を要するものであると心得て行きたいものであります。
 その一つに難航しておりました涅槃図の修復が皆さんの心温まるお力添えで完成間近となりました。細やかでございますが、来年、3月3日(日)午後2時より約一時間、管長猊下を招いて、本堂におきまして大涅槃図修復記念披露会を開催いたします。出席人数が多い時には、中庭にテントを張りテント席を作りますので、人数の心配は不要です。奮って出席を賜りたくお願い申し上げます。



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