< 大地の蔵


●大地の蔵

30.平成20年8月22日(金) 地蔵盆の一席
  演題「大地の蔵」  住職(服部潤承)


 日中は、まだまだ暑い日が続いておりますが、朝・夕は随分過ごしやすくなりました。月日の移り変わりを、身に染みて感じる今日この頃であります。
 昭和57年に建立されました佛日寺の水子地蔵尊も、今年で26年になります。この地蔵盆も早いもので、26回目ということになります。四半世紀、1世紀の四分の一を休むことなく続けてまいりました。その間、色々なことがございました。なかでも、平成7年の阪神淡路大震災の年には、半壊した山門の横で地蔵盆を執り行いました。その翌年には、新築中の山門の横で執り行いましたことを昨日のように思います。除々に弟子たちも成長し、いつ頃からか、地蔵盆の法要にも参加してくれるようになりました。昨年だけは、ご本山の専門道場で禅の修行を致しておりましたので、おりませんでしたが、この4月から帰ってまいりました。
 こう思いますと、お地蔵さんと言うのは、時の移り変わりと子供の成長を静かに見守っている仏さまと言えましょう。
 また、困った時や悩んでいる時、お地蔵さんは、そっと近付いて、難問を解決するヒントや悩みを解消するアドバイスを無言のうちに与えているように思います。
 石の地蔵さんが、「そんなことするわけがない。」と思われるのが普通でありましょう。
 しかし、26回の地蔵盆と、毎日第2日曜日の水子供養をしてまいりますと、量り知れない功徳があったことに気付かされます。つまり、「継続は功徳なり」なのであります。佛日寺の境内を見渡しただけで、わかっていただけるかと存じますが、貧しいけれども、清らかな空気が漂っております。山門に一度、足を踏み入れますと、国宝や重文や高価なものは何一つありませんが、静かで落ち着きを感じます。
 世間では、「神も仏もない」と、よく言われておりますが、そのような人に限って、自分の努力不足を棚に上げ、神さまや仏さまのせいにしているだけでありましょう。神さま・仏さまを召し使いのように、思い違いをしているのでしょう。
 「人事を尽くして天命を知る」と言う言葉がありますように、結果はともあれ、自分のなすべきことを全力をあげてやりとげ、その後は、神さま・仏さまにお任せすればよいのであります。
 丁度、今、北京オリンピックが開催中ですが、体操の内村航平選手、19歳が銀メダルを手にしました。あん馬で失敗しましたが、鉄棒で挽回して、みごとメダリストに輝きました。自分の力を出しきり、「無」に徹した時、神仏は捨て置かないのであります。
 それはそうと、自分の子供が、自分の相方が、自分の親が突如としていなくなったら、誰でも平然としておられません。気が狂わんばかりの心配・不安がつきまといます。それが30年も続いているのであります。1日とて気の休まる日はありません。ブッシュ大統領は拉致問題を忘れないと言っていましたが、核問題を優先するあまり、拉致問題を後回しにされ、アメリカからも見捨てられた感がします。日米安保と言うのは、両国が相互扶助する約束のもとで成立しているものと思っていましたのは、私だけでしょうか。
 この間、近所の猫が雛鳥を襲い、どこかに連れ去ってしまいました。その親鳥は普段の囀りでなく、けたたましく啼き騒いでいました。何ごとだろうと、庭に出て見ますと、雛鳥の羽が散らばっているだけで、雛鳥の姿はありません。きっと猫に連れさられ、喰べられたのでしょう。親鳥は悲鳴をあげながら飛びまわっています。雛鳥を探しているのか、誰かに救いを求めているのか。あたりを見わたしましたが、猫も雛鳥の姿も探しあてることができませんでした。
 それからも、何度も親鳥は飛んでいきました。襲われたあたりを飛び回ってました。ひょっとしたら、雛鳥が戻ってくるのではないかと思って待っているのでしょう。しかし、雛鳥の姿はありません。
 拉致被害者の皆さんの気持ちを察するに、あまりあるものがございます。あとは、新しく就任されました中山恭子拉致担当大臣に託するほかありません。
 親御さんにとって、何歳になっても子供は子供であります。一刻でも早く、肉親と再会でき、帰国が実現できますように願ってやまないのであります。このままでは、それこそ、「神も仏もあるものか」になってしまいますし、「渡る世間は鬼ばかり」となってしまします。
 日本と北朝鮮の間には、日本海と言う広くて深い溝がありますが、海の底は大地であります。そう思うと日本と北朝鮮は地続きであります。
 大地の蔵であるお地蔵さんは、大地を通じて、世界中のどこにでも繋がっています。
 拉致被害者の切なる願い「早期再会・早期帰国」が叶いますように、お地蔵さんにお祈り致します。  



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