●慈悲

26.平成19年8月22日(水) 地蔵盆会の一席
 演題「慈悲」 布教師 住職(服部潤承)


 
 数ヶ月前のことですが、「福祉」を生業とする会社の不正が発覚して、その会社を他の同業者に譲渡することになったそうであります。
 この会社の経営者は、嘗て「◯◯◯◯◯東京」と称するディスコを経営していたそうですが、「福祉」に目をつけ、これからは、「福祉の時代」と言うことで、介護専門の会社を立ち上げました。これだけでしたら、全く職種の違う分野に転進された ご奇特な方に違いないと思ってしまいますが、いやいや、介護保険制度の発足に伴って、助成金が事業所に支払われることで、儲かる事業として始めたのであります。
 何と動機が不純ではありませんか。「福祉」と金儲けの材料としたのであります。「福祉」と言うものは、宗教のような崇高な奉仕の精神がなければなりません。粉骨砕身・身を粉にして務めても「キリ」がないものであります。そして、儲け度外視で努めなければなりません。現実、福祉に従事している職員の方々は、きつい仕事の割には、支払われるお給料は意外に少ないそうです。割の合わない仕事かもしれませんが、誠心誠意、孤軍奮闘されている職員の方々の姿を見ると、頭が下がる思いであります。
 ところが、何と言うことでしょうか。福祉の精神から全く逸脱した純粋な福祉の精神を踏みにじる行為がわかったのであります。つまり、「福祉」を食い物にして、不正を働いて大儲けをしていたのです。経営者の資産が何十億に膨れ上がっている一方、直接仕事に従事している職員の方々には、薄給を強いています。自分だけは、ぬくぬくと「福祉」の上に胡坐をかいていたのであります。               
 不正が発覚したからと言うことで、早々と福祉事業から撤退してしまい、後は知らん顔をするのでしょう。「ケアー」を頼みにしている人は、どうなるのでしょうか。そんなに簡単に止められるほど、「福祉」に対する意識が希薄だったのでありましょう。
 例え、過ちがあったとしても、そこで悔い改めてより良いものを目指し、社会に貢献しながら汚名を払拭し、名誉を挽回するのが本当ではないのかと思うのであります。確かに一度、信用を失うとなかなか信頼を回復することは容易ではありません。修復には少々時間がかかるものであります。今日の家は、どうか存知ませんが、以前は家を建てるのに、何年もかかったそうです。柱は、狂わないように長期にわたって倉庫に寝かせ自然乾燥させたそうです。土壁は、竹と縄で網状のものを作り、そこに塗ります。一度塗っては、そのまま何ヶ月も置いておくそうです。自然乾燥をさせて、その上に上塗りを重ねるそうです。そうすることによって狂いや罅割れが無くなるとのことです。信頼・信用も、急につかないもので、ゆっくりつけるもので時間のかかるものであります。そして、失敗は、火事と同様で、一瞬にして燃え尽きてしまいます。それには、火事を出さないように、日頃の細心の注意が必要になってまいります。家・建物は火の用心、信頼・信用は非の用心です。
 因みに、「福祉の心」とは、どのようなものでしょうか。仏教の精神に相通ずるものがあります。観無量寿経に、「仏心者、大悲慈是也」とあります。仏心とは、大慈悲是なり。慈悲とは、衆生に慈しみ楽を与えること。衆生を憐れんで苦を除くことであります。仏心・慈悲心が無ければ、福祉の仕事は、到底できないのであります。
 今、問題になっている某会社は、利益のみに走って福祉の精神を失ってしまったのでありましょう。いや、最初から福祉の精神は無かったのかもしれません。福祉を金儲けの手段でしかなかったのでありましょう。尊敬から軽蔑にすっかり変わってしまったのが、大変残念なことでございます。
 また、年金の入力ミスが発覚して、社会保険庁は、現在大わらわです。コンピューター処理がうまくいかなかったそうですが、阿倍総理の英断で記載漏れの方々にも年金が支払われるそうですので、とりあえず様子を静観するしかありませんし、じたばたしても、どうしょうもありません。
 平成7年1月17日に、阪神淡路大震災がありました。西宮・芦屋・神戸・淡路は壊滅状態で、人々も途方にくれていました。その茫然自失の中で、国道二号線の西宮をスクーターで走っていましたら、臨済宗東福寺派の茂松寺の前を通りかかった時、目に入った言葉がありました。それは、壊れかかった門に「お静かに」と、何気なく貼り付けてありました。「禅寺らしい」励ましの言葉に私は、感動いたしました。ご住職の思いがこの一言に凝縮されているように思いました。泰然自若、現実を直視し、今はじたばたしても始まりません。ここはゆっくりと構えて静観して、いつでも善処できるよう充電せよと言う意味に直感いたしました。因みに、この茂松寺、全壊に近かったようですが、平然としたご住職の力量を推し量ることができました。
 皆さんも、年金について、ご心配もございましょうが、泰然自若として、静観し、阿倍総理のお手並み拝見と致しましょう。

 さて、本日は地藏盆ですので、お地藏さんの話をして終わりたいと思います。
 先月七月二十五日、午前六時十分頃、JR久保線大分市元町で、お地藏さんが列車にはねられ、こなごなになってしまいました。大分県警は列車往来危険容疑で調べた結果、このお地藏さんは、高さ三十センチ、重さ十三キロ、線路脇の空き地に祀られていました。その場所から六メートル離れた線路内に何者かが移したとみています。このお地藏さんは、二十年前、現場付近で飛び込み自殺が二件、立て続けにあつたことから、地元住民により供養のために建立されたとのことであります。
 勝手な私の解釈になりますが、このお地藏さんは、自殺の身代わりお地藏さんだったのかもしれません。この数年、年間三万人以上の自殺者が出ています。
 お地藏さんは、

 「自殺する勇気があるのならば、死んだつもりで、やり直せ。逃げたらアカン」

と、お地藏さん自ら列車に、飛び込んで、

 「自分で自分を殺すことは、なんとつまらないことではないか」

と、お地藏さんは身を以て、戒められたのでありましょう。    



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