●迦葉刹竿

20.平成18年3月21日(火) 春季彼岸会の一席
 演題「迦葉刹竿」  住職(服部潤承)


 3月ともなりますと、ポカポカ陽気で、気持ちまでウキウキしてまいりますのは、私だけでありましょうか。 昨年の12月から1月にかけて、何年かぶりの大寒波が押し寄せてまいりました。 皆さんは風邪などを召されませんでしたか。 北国では、歴史上、稀な大雪でした。 それに、ともなって雪の犠牲者が100人を超えたそうです。 昨年のJR西日本列車事故で死亡された人数に匹敵するぐらいの自然災害でありました。 無力な私々ができるのは、犠牲者を悼むことと、今後多くの方が災害に見舞われないようにお祈りするほか、ございません。
 天地の神々の怒りは、私々が神の領域を侵した時、頂点に達して爆発します。 それが、災害や事故となって現れるものと思います。 これを、古来から「罰」と言われているものです。 剣豪の宮本武蔵でさえ、遺言の「独行道」で、「仏神は貴し、仏神をたのまず」と言っています。 神仏を頼ってお願いするばかりでは、困りますが、神仏を尊び敬う心を忘れてはなりません。
 或る信仰をもった方が、薬局を経営されていました。 薬局は薬剤師の資格がなければ営業できません。 薬剤師といえば、薬のプロです。 或る薬品が、病気治療に良く効くが、薬害もあることは十分ご存知でした。 薬局も商売ですから、たくさん売れることに越したことはありません。 しかし、信仰をもったこの薬剤師は、求めに応じず、病気によく効くが薬害もあることを切々と説明しました。 店頭に陳列すれば、きっと売れるのに、敢えて陳列しなかったそうです。 強いて副作用のあるような薬品を売らないように努めました。
 これは、薬剤師としてのプロ意識や倫理観や良心を持ち合わせていらっしゃったことはもちろんのこと、それに手伝って、この薬剤師は信仰をもった方であったからでしょう。 目先の損得勘定にとらわれず、神仏の教えに悖ることのない、神仏の意にかなうような生き方が、そうさせたのに違いありません。
 そう言えば、去年から話題になっています耐震構造の偽装問題です。震度5で倒壊するマンションやホテルが粗製乱造されたそうであります。 マンションの退去命令が出たり、ホテルの営業停止に追い込まれたりして、路頭に迷っている方がたくさんいらっしゃいます。 これは、関係者のプロ意識や倫理観や良心の問題だけではありません。 宗教心の欠如と言うか、神仏を畏れぬ諸業と言わざるを得ません。 かつては、職人気質と言われて、「儲」度外視で、自分の仕事に打ち込んで、よいものをつくることのみに、喜びを感じたものであります。 「溥利多売」・少ない利益で多く売るのは、確かに消費者側からすると、安いので、いいのに決まっていますが、手抜きや、欠陥では困ります。 それでは「安かろう、悪かろう」になってしまいます。 プロ意識や倫理観や良心と次元の高い精神、つまり宗教心がいつでも、どこでも要求されるものなのであります。
 ホリエモンで有名なライブドアに、東京地検が入り、ホリエモンまでがとうとう逮捕されてしまったのは、皆さんもご存知の通りであります。 「飛ぶ鳥を落とす勢い」と言うのは、かつてのホリエモンのことかもしれません。 あちらこちらの企業を手中に収め、昨年は国会にまで打って出ようと無所属で出馬しましたが、弓折れ、矢尽きたのでありましょうか。 右腕と言われた側近までが自殺を図りました。 そして、ライブドアと言う会社の役員も一新されたと聞いております。
 平家物語の冒頭文に、
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
 おごれる者も久しからず、ただ春の夢のごとし。
 たけき者もつひには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。
 現代訳しますと、
 祇園寺の鐘の音には、あらゆるものが移り変わると言う響きがこもっている。
 沙羅双樹と言う木の花の色には、盛んなものも必ず衰えるという道理を示している。
 おごりたかぶっている者も長く続かない。それは、まるで春の短い夜に見る、はかない夢のようだ。
 勇猛な者も結局は滅んでしまう。それは、まるで風の前の塵と同じで、はかないものだ。と言う意味合いです。 平清盛を始めとする平家一門とホリエモンを始めとするライブドアが、どこか似かよっているかのように思われてしかたありません。
 いつの時代も、どこでも、真理と言うものは、決して変わらなく、揺るぎないものなのであります。 ですから、真理を学び、真理に触れ、真理に生きることをお奨めいたすのであります。
 そこで、本日の本題であります「迦葉刹竿」に入ります。
 「無門関」の第22則に、
 迦葉、因みに阿難問うて云く、「世尊、金襴の袈裟を伝うるの外、別に何物をか伝う。」 葉、喚んで云く、「阿難。」 難、応諾す。 葉云く、「門前の刹竿を倒却著せよ。」
と、あります。 簡単に現代訳しますと、
 阿難尊者が迦葉尊者に尋ねました。「お釈迦様から法を継承した時、金襴の袈裟以外に何か受け取りましたか。」 と。そこで、迦葉尊者は阿難尊者を呼んで、「阿難よ。」 と言うと、阿難尊者は、「ハイ」と即答しました。 すると、迦葉尊者は、「門の前に立ててある旗を降ろしなさい。」 と言ったのです。
 まず、お釈迦様の教えは、誰に伝えられたのかと申しますと、ご本山の黄檗山萬福寺の本堂・大雄宝殿にお参りしますと、解ります。 中央にお釈迦様・右側に迦葉尊者・左側に阿難尊者が祀られています。 そこで、お釈迦様の教えは、右側の迦葉尊者に、そして迦葉尊者は、左側の阿難尊者に受け継いだのであります。 教えを継承した証明として、金襴の袈裟が授けられます。 金襴の袈裟でしたら目に見えて、判るのですが、教えの中味ともなると目に見えません。 「以心伝心」と申しまして、「心を以って心に心を伝える」ものであります。
 迦葉尊者が「阿難」と言えば、阿難尊者が「ハイ」と答えます。 「ツ」と言えば、「カ」と答える。 「山」と言えば、「川」と答える。 歌謡曲ではありませんが、「アナタ」と呼べば、「ナンダイ」と答える。 このような心と心がつながっている関係では、多くの言葉を必要としません。 これを阿吽の呼吸と言いますが、真理と言うものは、言葉を駆使する必要がないのであります。 言葉で説明すると別物になってしまいます。 ただ直感で、感じ取るだけなのであります。 宗門で「不立文字、教外別伝」と言われている所以は、ここにあります。
 阿難尊者の「ハイ」と言う返事に、迦葉尊者は、以心伝心で法が受け継がれたものと確信して、「門前の旗を降ろしなさい。」と言ったのでありましょう。
 佛日寺でも、今日のような行事の時には、必ず法話をいたします。 また、行事のある時には、本堂前に五色の吹流しか、仏旗を揚げます。 近所の方々は、この吹流しや仏旗を見て、今日は佛日寺で行事が行われていると気づかれるのであります。 そして、行事が終われば、吹流しや仏旗を降ろしてしまいます。 これは、本日の行事が終わりましたと言うことを、知らしめているわけです。
 話を元に戻しますと、阿難尊者の「ハイ」の返事に、迦葉尊者はすかさず、門前の旗を降ろさせたその真意は何か。 それは、黙して語らずとも、確実に法が伝わったところに意味があります。
 禅と言うのは、浅薄な言葉によるものではなく、長年の修行からほとばしる、洗練された崇高な叡智なのであります。



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