●関

19.平成17年9月23日(金) 秋季彼岸会の一席
 演題「関」  住職(服部潤承)


 いつまでも暑い日が続きまして、お変わりございませんか。 異常気象のせいか、毛虫がたくさん発生して、梅や桜の木の葉を食べつくしてしまいました。 緑は目によく、二酸化炭素を吸って酸素を出す炭酸同化作用をして空気を清浄化しますし、 秋が深まりますと紅葉して私たちの目を楽しませてくれますのに、大変残念でございます。
 この間、お盆が終わったと思いましたら、もう秋のお彼岸になってしまいました。 月日の経つのは早いもので、これを2500年前お釈迦様は、諸行無常という言葉で言いあてておられます。 わかりやすく申しますと、「あらゆるものが、うつりかわる。」 と言うことであります。 赤ん坊が大きく成長するのも、青年が老人になるのも、花が咲くのも、花が散るのも、すべて諸行無常なのであります。 今、苦しんでいらっしゃる方は、自分の不運を恨むことはありません。 いつまでも苦しみが続くわけがありません。 世の中は諸行無常なのですから、いつの間にか苦しみも止むことでしょう。 ご安心下さい。また、わが世の春とばかりに楽しんでいる方も、いつまでも続きません。 やはり、世の中は諸行無常なのであります。
 諸行無常は、いつの時代もどこの国にも共通して存在しております。 これを真理と申します。 この真理に目覚めることを悟りと言います、この真理に目覚めた方をブッダと申します。 お釈迦様は、お悟りになった内容を人々に説かれました。 その口述筆記したのがお経なのであります。 インドでは、パーリ語とサンスクリット語で書き残されました。 西遊記で有名な三蔵法師により中国にもたらされ、漢字に置き換えられました。 佛日寺であげておりますお経は、この漢訳されたものであります。 漢字になってはいますが、お釈迦様のお言葉そのものであります。 例えお悟りの内容がわからなくても、何度も繰り返してあげておりましたら、「読書百編、意自から通ず」 であり、自然に意味がわかってくるものであります。
 この八月終わり頃、アメリカのメキシコ湾で大きなハリケーンが発生し、 ニューオーリンズを襲いました。ニューオーリンズと言うところは、海抜0メートル地帯で、防波堤を突き破った海水が住宅地に流れ込みました。 海水を掻い出すのに1ヶ月程かかるそうですが、何人の方が亡くなったのかわからないそうです。 アメリカ政府は、早くから避難するように警報を出したのですが、 逃げるすべがなく、取り残された方がたくさんいました。 被災した人々の悲痛な叫びがテレビで流されていました。 「家や家財を置いたまま避難できない。」「金持ちのように移動手段がない。」 と言うことで、そこに留まる他には方法はなかったとのことでした。 ハリケーンが通り過ぎた後、家は潰れるは、水没するは、家族は行方不明になるは、飲料水はないは、食料は届かないは、強奪や強姦は頻発するはで、大変なことでした。 そこで、軍隊が送り込まれてとうとう一般市民にまで銃口が向けられることになり、まるで、イラクやアフガニスタンのようでした。 これが、先進国アメリカ・自由の国アメリカ・強き国アメリカ・景教の国アメリカだとすると、日本は戦後、アメリカに何を学ぼうとしてきたのでしょうか。
 日本には、世界に誇る歴史と伝統・文化・宗教・人材があるのにもかからわず、なぜアメリカに追従するのか不思議でなりません。 アメリカの二の舞にならないように祈るほかありません。
 毎年、10チャンネル読売テレビ放送の24時間テレビで、全国に募金活動を展開し、今年は2億9千万円が集まりました。 小さなお子様の貯金箱からや、その日の商売の売り上げ金や、街頭での募金等々で、善意のお金が集められました。 まさしく浄財であります。 お金の使い方には、喜ばれる使い方と喜ばれない使い方があります。 同じ使うのであれば、皆に喜ばれるような使い方をしたいものであります。 と言うのは、9月11日、衆議院総選挙がありました。 その費用が、769億円だったそうです。 一人あたりの議員選出に1億6千万円が要ったことになります。 なんとなく、もったいないなあと思うのは、私だけでしょうか。
 さて、本日の本題に入ります。 本日のテーマは、「関」であります。
 碧巌録第8則
 挙す。翠巌夏末、衆に示して云く、一夏以来兄弟のために説話す。 看よ翠巌が眉毛在りや。 保福云く、賊となる人心虚なり。 長慶云く、生ぜり。 雲門云く、関。
 わかりやすく、現代訳を致しますと、次のようになります。
 翠巌禅師が夏安居、つまり夏の90日の坐禅修行月間の終わり頃、参加者に言いました。 「夏安居中に説法した内容に、嘘いつわりがあれば、眉毛が無くなると言われていますが、看て下さい。私の眉毛はありますか。」と。 保福禅師は言います。 「嘘はどろぼうの始まり、びくびくしている。」と。 長慶禅師は言います。 「眉毛は生えているよ。」と。 雲門禅師は、一言「関」と言いました。
 この最後の雲門禅師の一言「関」について考えたいと思います。
 雲門禅師は、中国の唐の時代(949年没)の禅僧であります。 「関」と言うのは、関門・関所・玄関等の入り口のことで、ここを無事に通過しなければ、目標には到達いたしません。 佛日寺に、「白雲関」と言う横門があります。 白雲は、自由自在・融通無碍・なんのとらわれない世界を象徴しています。 したがって、自由自在の世界に入って行く関門・融通無碍の世界に入って行く関所・とらわれない世界に入って行く玄関という意味であります。
 駅の構内に入るのに、改札口を通らなければなりません。 切符がないと通してくれないのであります。 有料道路を通行するのに、ゲートで通行料金を支払わないと通行できません。 空港の出国審査カウンターで、パスポートを見せなければ外国に行けません。
 では、雲門禅師の「関」は、どのような改札口・ゲート・出国審査カウンターなのでしょうか。 それは、自我から無我への入り口・分別から無分別への入口・迷いから悟りへの入口・相対的見識から絶対的見識への入口としての「関」と、とらえたいと思います。
 ご本山の三門の横に句碑が立っております。
  山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄(菊舎)
 三門の内と外では、随分雰囲気が違うものであります。 俳人菊舎が、三門を出たとき、ここは日本だったのだと現実に戻りました。 宇治は茶所ですから、茶摘唄が聞こえたのでしょう。 ふっと人間界と申しましょうか、俗世間に戻った心境が歌われております。 それだけ、黄檗山内は峻巌でいて、鷹揚だったのでありましょう。



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