※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。
燃えるような暑さですね。境内の草木も朝晩水やりを十分しているにもかかわらず元気がなく、頑丈な龍のひげも葉が焼けてしまいます。一度ダメージを受けますと元通りにはなりません。
さて、今回は禅問答の問題集『趙州録』から「救火救火」の公案を紹介させていただきます。
ある時、趙州和尚が禅堂の中で叫びました。「火事だ!火事だ!(救火救火)」それを聞いて修行僧たちが血相を変えて集まってきました。しかし、どこを見渡しても炎も煙さえも上がっておらず、趙州和尚はいきなり「バタン」と坐禅堂の扉を閉めてしまいました。修行僧たちはあっけにとられて呆然としていると、師匠の南泉普願和尚がやって来て、鍵を禅堂の中に投げ入れました。すると趙州は「パッ」と扉を開いたという内容です。
なぜ趙州和尚はこのような不可解な振る舞いをしたのでしょうか。修行僧に何を伝えたかったのでしょうか。そこを拈提することが大切です。
一つ目の解釈として、お釈迦様の像頭山での説法を参考にいたします。
「比丘たちよ、すべては燃えている。そのことを、なんじらはまず知らねばならない。人々の眼耳鼻舌身意は対象に向かって燃えている。貪欲の火によって、瞋恚の火によって、愚痴の火によって燃えている。」
つまり、私たちの感覚や心は、欲望、怒り、迷いの炎で燃えているということです。そこに気が付かなければ、その火は方々に燃え広がり、手がつけられなくなってしまいます。私たちの人生の苦しみは、この心身の炎から生まれます。
ここから考えますと、趙州和尚は建物などの物理的な火事ではなく、集まってきた修行僧に「自分の中の炎に目を向け、すぐに消しなさい」と戒められたのではないかと思います。
次の解釈としては、修行僧たちに「慈悲心」を伝えたかったのではないかと考えます。
他宗によく間違われるほど私とそっくりな和尚さんがおられます。私との違いは、頬に火傷痕があることです。この和尚さんの実体験を紹介させていただきます。
この和尚さんが幼少の頃、寺が火事になり、建物の中に取り残されてしまいました。お母さんはわが子のために、周りの制止を振り切り、水をかぶって火の中に飛び込み、大やけどを負いながらも助け出されたそうです。
お母さんは息も絶え絶えに「子どもは助かりましたか」と尋ね、周りの人が「大丈夫です、生きています」と答えると、それを聞いて安心して亡くなられたとのことです。
和尚さんはその姿を今でも鮮明に覚えておられます。「自分の命は母にもらった命である。その命を背負って精いっぱい生きていかなければならない」とおっしゃっていました。
壮絶なお話です。母親は自分の子どものためなら、自分の命を投げ出してでも救おうとします。これを大慈悲心といいます。そこに分別や理屈はありません。まさに無心のはたらきです。
ここから考えますと、趙州和尚はあえて緊急事態を演出することで、修行僧たちに慈悲という無心のはたらきを伝えようとされたのではないかと思うのです。
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