※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。
コロナ禍が収まり、以前のように外出を楽しまれている方が増えてきたように思います。中でも山登りに行ったとのお声をよく聞きます。「六甲山縦走」「剣岳登頂」と楽しそうに語られ、私も一緒に登った気になり楽しませていただいております。
以前、私も生駒山に登ったことがありますが、そこまで高くないにもかかわらず、途中何度も休憩し、リタイヤも頭をよぎりました。それでも、這う這うの体でなんとか登頂しました。頂上におりますと、なんと気持ちのよいことでしょう。心の中がすかっとして、次の瞬間には「次はどこの山を登ろうかな」と前向きになっておりました。世の中の登山家も、この瞬間が忘れられないのだと思います。イギリスの登山家 ジョージ・マロリー の「なぜ山に登るのか、そこに山があるからだ」という言葉も頷けます。
さて、今回ご紹介するのは「独座大雄峰(どくざだいおうほう)」という禅語です。修行僧が百丈禅師に質問します。「もっとも素晴らしいことは何ですか」。それに対して「私がこの山に座っていることです(独坐大雄峰)」と答えられました。
皆さんは疑問に思われるかもしれません。「なぜここに座っていることが素晴らしいのだろうか。ふざけているのだろうか」と。もちろん、ふざけているわけではありません。
皆さんは「素晴らしいことは何ですか」と問われたとしたら、何と答えますか。「家族」「人徳」「権威」「思いやり」「努力」「お金」と答えるかもしれません。あるいは修行僧のように、「お悟り」や「仏」といった高尚な答えを期待するかもしれません。
ここで目を向けたいのは、何の理屈がなくとも、「いま」「ここ」に「私」という存在を受け入れ、肯定している姿勢です。
今の世の中を見渡せば、自分を肯定することができず、苦しんでいる人も多くおられます。承認欲求が強く、他人からの評価を得られないと自信を持てない。不器用な人は失敗が多く、周囲から厳しい目を向けられることもあります。中には、周りの人をこき下ろすことで、無理やり自分を高め、安心感を得ようとする不健全な在り方も見受けられます。
このように周りの評価に左右される生き方では、いつまで経っても満たされることはありません。
有能か無能かに関わらず、あるがままの自分を受け入れる姿勢こそが、禅の生き方ではないでしょうか。
あるがままの自分を受け入れるということは、そのまま、あるがままの他人を受け入れることにもつながります。
私がここにいることが素晴らしいということは、他人がここにいることもまた素晴らしいということです。
どうか皆様も、朝起きて鏡に向かって「私がここにいることが素晴らしい」と心の中でつぶやいてみてください。そして人と出会ったときには、「あなたがここにいることが素晴らしい」と心の中で思ってみてください。
また、自分を受け入れられずに苦しんでいる人がいれば、「あなたがいることが素晴らしい」「理由なんて必要ない」と、どうか声をかけてあげてください。
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