●天地明察

令和5年1月掲載

 ※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。

 黄檗宗の伝わった江戸時代は、「和算(今で言う数学)」が武士・農民問わず盛んに楽しまれていました。算額という数学の問題や解法を描いた絵馬・額をお寺や神社に奉納していたのです。難問を考えては絵馬や額に描いて奉納し、問題が解ければ仏様や神様に感謝し、算額を奉納しました。この算額を奉納するという文化は日本固有のものです。 スマートフォンやインターネットもない時代に、当時の人々がいかによく考え、試行錯誤して思考を編み出そうとしていたか想像に容易いでしょう。

 さて、江戸時代の数学のうち、実用性で大きなものとして、暦を作るための暦法計算があります。日本は唐よりもたらされた宣明暦を平安時代から用いていましたが、江戸時代の頃には、日本と中国では経度差(時差)があるために天体との動きが合わなくなっていました。そこで、江戸幕府のもと暦を改めようとする動きが起こりました。関孝和も新しい暦に挑戦していたのですが、算学も習熟した天文暦学者の渋川春海(しぶかわ はるみ)が一六八五年に日本人初の暦法「大和暦」を考案し、朝廷に貞享暦(じょうきょうれき)として認められたのです。その後、宝暦暦(ほうりゃくれき)、寛政暦(かんせいれき)、天保暦(てんぽうれき)と変遷し、明治時代に現在のグレゴリオ暦へ変わります。

 この天保暦がいわゆる旧暦のことです。代表的な行事を旧暦で載せますと次のようになります。今の暦と同じものと一ヵ月ほどずれているものと混在しているようです。   

    一月 一日:正月   

    二月十九日:春分の日(この前後三日が彼岸)   

    三月 三日:雛祭り   

    五月 五日:端午

    七月 七日:七夕

    七月 十五日:中元、盂蘭盆会

    七月 二四日:地蔵盆

    八月二八日:秋分の日(この前後三日が彼岸)

    十一月二三日:新嘗祭

    十二月 晦日:大晦日

 旧暦は日本の風土や気候、漁業や農業、二十四節気などと相性が良かった、つまりよく自然を観察して決めていたと言われています。日本だけでなくその土地その時期に適したものが世界各地にあるのだろうと思います。

 かつての地動説と天動説のように、どちらが正しいかに拘るあまり争いが起きてしまうことは残念なことに思います。

 今年は令和も五年目、コロナ・ワクチン騒動、ウクライナ騒動、円安騒動と日本は騒いでおります。政府は本当に国民を心配してワクチンを打たせようとしているか、世界的な通貨で見れば円安ではなくドル高であると言えるのですが、我々にとって本当に何が大切でどう行動すべきなのか、テレビで言っていることが偏った一面だけなのではないか。今一度、真実は何なのかを、天や地、世界、そして自己を見つめなおし、「ご明察!」と真理を見抜く年になってほしいものです。


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