●汚泥の中から蓮は咲く

令和4年7月掲載

 ※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。

 大変暑くなってきました。うまく育っていれば今月には蓮の花が咲きます。境内に大小十鉢ほどございますが、三年前より本格的に育て始めました。三月の終り頃に鉢をひっくり返して、レンコンと土を取り出します(重労働)。レンコンは太くて立派な物を二〜三節に切り、去年の茶色くて腐ったものは捨てます。土は苦土石灰をまぶして一週間程天日干した後に、同じ量の腐葉土と少量の肥料を混ぜ鉢に戻します。水を徐々に加えて練ってゆき(重労働)、レンコンの形に合わせて深さ十センチほどの穴を掘り、横たわらせて上に土をかぶせます。そして水を擦り切れまで張ります。数週間で葉が出てきて、その後はシーズン終了まで干上がらない様に毎日水を入れ、肥料は月一度土の中に埋めます。元々、東南アジアの花ですので暑くなればなるほど、元気になってゆきます。葉っぱが人の顔よりも大きくなった頃に、大きな美しい花を咲かせるのです。花は早朝に開き、午後には閉じて、三日目には儚(はかなく)も散ってゆきます。花びらを落とした姿はハチの巣に似ていることから元々「ハチス」と呼ばれていたものが、現在の「ハス」と呼ばれるようになったそうです。
 さて、この蓮ですが佛教と関係が深い植物です。佛様が座られている台が蓮を模った蓮華座であったり、またはお悟りの象徴であったりします。大乗仏典の『維摩経(ゆいまきょう)』には、

 高原の陸地には蓮華を生ぜず

 卑湿の淤泥(おでい)にすなわち此の華を生ずるが如し

とあります。意訳しますとレンコンを安全な陸地にポンと置いておいていては葉も根っこも出ませんし勿論花を咲かすことはありません。汚泥の中にあるからこそ栄養分を得て葉を出し花を咲かせるのです。ここでの「汚泥」とは、煩悩渦巻く苦しみの世間をいいます。蓮華とは「お悟り」のことです。
 私が本山萬福寺に奉職していた時ですが、近藤博道老師が私に対して「泥まみれになって、のたうち回るように苦しまなきゃいけないよ」「なんでこんなことしたり、言っちゃったんだろうなと、後悔して後悔して夜も眠れないような思いをしなければならないよ」とお言葉を頂戴しました。つまり、怒りや煩悩(ぼんのう)に塗(まみ)れた世界(汚泥)に、自ら一歩先に踏み出してズタズタに苦しまなければ気づかない蓮華(お悟りの心)があるよ。と教えて下さったわけです。老師も同じように苦しんでこられたからこそ、この様に仰って下さったのではないかと思います。味わい深いお言葉です。
 佛日寺の蓮の話に戻りますが、鉢を全く同じ環境で、同じ様に世話をしたとしても、何故か葉が出てこずに腐ってしまったり、葉が茂っても一つも花を咲かさない鉢があります。レンコンも人も生まれつきの性質みたいなものがあって、皆それぞれ違います。向き不向きがそれぞれありますので、他と同じ様にすれば良いというわけではありません。その汚泥の中に本当に合っているのかを見出すことは難しいです。


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