●うどん供養

令和3年12月掲載

 ※原文は縦書きのため漢数字で表記しております。

 はやいもので年の瀬でございます。今年はようやくコロナワクチンの接種が始まりましたが、なかなか目に見えるような効果が無いようにみえます。来年も引き続きコロナとお付き合いしなければならないと思います。しかし、諸行無常という言葉があるように、常に時は進み続けますので、いつまでも悪い状況から変わらないということはありません。いつかは平常時に戻りますので、現在のストレスに気を取られて何も出来なくなるよりも、今何ができるのか、現状で何か楽しい出来事はないのか、そういうところを見出す視点が必要ではないかと思います。
 さて、この十二月は禅宗においては臘月(ろうげつ)といいます。この月には修行道場では臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)という一年でも一番厳しい修行を行います。十二月一日の早朝より、八日の午前三時の明星を見るまでの間、食事と読経以外はひたすら坐禅を続けるといったものです。お釈迦様が菩提樹(ぼだいじゅ)の下で坐禅を組まれてお悟りを開かれた故事に倣ってのことです。お釈迦様のおられたインドは暖かく安楽で気持ちの良い修行であったかと思いますが、日本の十二月は極寒であり、暖房器具も点けず防寒具も着けず、障子を開け放ち、ほとんど外気温と同じ禅堂に坐り続けるのです。はじめの数日は寒さと眠気と足の痛みに気が狂いそうになりますが、そのような中でも楽しみがありました。それは表題のうどん供養です。毎日、九時から開枕太鼓(かいちんだいこ)を叩きますが、その太鼓の音が鳴りやむのを合図に、斎堂(食堂)へ移動してうどんを食べるのです。斎堂での食事は本来は音を少しでも立ててはならないのですが、この時ばかりはその反対で盛大に音をたてなければなりません。行堂(ひんたん)という手桶に入ったうどんを、つけ麺にして大いにすするのです。つけ麺出汁には、大根おろし、おろししょうが、一味、山椒、ごま油、天かす、ラー油と有り、自分の好きなものをたっぷり入れます。一人五玉程をすごい勢いですすりますが、冷え切った体が温まりだんだんと精気を取り戻していくのがわかります。正直、毎日毎日「もう駄目だ」と挫けそうにますが、この温かいうどんのおかげで「まだまだ坐れるぞ」と気合が入るのです。現在の私はこの時程うどんに感謝ができなくなってしまいましたが、現在でもうどんをみると心が躍りだすのがわかります。この経験をしてきた和尚は、そばよりもうどん好きな人が多いと思います。
 皆様もつらい時にはこの温かいうどんを召し上がっていただいて奮起して頂ければと思います。うどんでなくとも自分を奮起できるようなものが見つかれば良いですね。


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